小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~跡目争い(45)~

 それは、妖気だった。
 莫大な妖気の塊が、ぶつかり合っているのである。
 一つは、黒色の九尾の狐である。
 一つは、七本首の大蛇である。
 狐の額の上に立つ黒衣の男は、にぃっと唇を上げた。
 蛇の額の上に立つ白髪の翁は、ちぃっと唇を歪めた。
 妖怪の姿と、人の姿で、二人は争っているのである。
「押されているのか」
「当然じゃろうが」
 玉藻御前の耳元で、翁――八霊の声がした。振り向くと、小さな蛇が鎖に巻き付いていた。
「あれは、偽物、いや」
「こちらが式じゃ。お前に割ける余力はそうないでな、端的に言うぞ。やれるか?」
 消え入るような声に、玉藻御前は力なく頷いて見せた。
「……弟の不始末は、姉の手で」
「よかろう。儂も疲れておるでな、手に余る」
「この国の化身が、疲れるなんてね」
高天原の連中を黙らせたうえに、彩花と争って負けたでな……老骨には、堪える」
 鎖がゆっくりと溶けていく。玉藻御前の縛りが解けていく。
 天上では、狐の爪が蛇の目を抉り出していた。
 狐と蛇――妖の身が激しく争う中、人の身は静かに術を交えている。
 国造りの力もかくやと思えるほどの術を、互いに打ち合っていた。
 山が噴火――いや、爆発して溶岩ごと吹き飛んだかのような炎のぶつかり。
 玉藻御前が誅殺した阿蘇の火龍の振るう炎など、愛らしく思える。
 化身の勝負は、蛇が劣勢である。術比べも、弟の手数に八霊は追い付いていない。八霊が一の術を繰り出す間に、二の術、三の術と絶え間なく打ち出すのだ。
 弟の力は、養い親のものを越えている。
 神も仙人も妖怪も人も、まとめて相手にしてみせた妲己の力を凌いでいる。
 だからといって、玉藻御前が引き下がったままでいるわけがない。
「ああ、そうか。葉子は……この気持ち、だったのだねぇ。本当にあの子は、私に似ているよ」
 鎖が、消える。
 玉藻御前の蝋長けた姿が、ゆっくりと変化していく。
 余力はいらない。
 ここで使い切ってしまえばいい。
 その為に自分はここにいるのだ。
 顕現する。
 九州を総べる大妖怪、金銀九尾の白面の者が。
「チィ!」
 妖気を切り裂き、新たな妖気が参戦する。
 金銀九尾の狐が、黒色の九尾の狐の喉元に嚙みついた。
「姉上!」
 すぐさま振り払ったチィは、人の身の術を玉藻御前に向ける。
 無数の礫を浴びながら、肉薄した玉藻御前は毒の瘴気を浴びせかけた。
「そこまで、そこまでして、俺を阻むか! 俺の望みを阻むのか!」
「黙れ、愚かな弟よ」
 低く告げる玉藻御前の後ろから、稲妻が降り注いだ。
「この程度の毒に雷など、我にきくわけがなかろう!」
「お前の望みなど、そう、今の私に、今の私にとっては、何の価値もないのだよ」
 そう、玉藻御前は、泣きながら言った。



「凄いな」
 創世の争いとは、このようなものだったのだろうかと、男は考えていた。
 騅のたてがみを撫でながら、初陣を思い出す。恐怖は感じなかった。感嘆しただけだ。
 化け物達の宴を見やる。
 いや、自分も化け物だろう。
 死して後も、こうして異国の地に立っているのだ。
「あれか、我を呼び出したのは」
 この身体の根源に違いない。
 荒れ狂う黒い九尾の狐に惹かれるのがわかる。頭を垂れたくなる。
 その誘惑が、男の意志をかえって明確にさせる。
 鬼の女の手で負った傷も、拍車をかける。力は喪われ続けているが、かえって意志は明確となった。
「何故我が従わねばならぬ。我は、覇王ぞ、大地を総べる者ぞ」
 気力が漲っている。
 あの時と同じである。56万の軍を、3万の軍で打ち破った時と。一人でも勝てると思った。思うしかなかった。憤怒が恐怖を凌駕した時、着いてきてくれた者達がいた。
 そう、一人では、駄目なのだ。
「叔父上」
 道半ばで倒れた英傑が、現れる。
「亜父よ」
 道違えた軍師が、現れる。
「龍且」
 道離れて死んだ猛将が、現れる。
「章邯よ、許す」
 道併せた名将が、現れる。
「そうだ、我は一人ではなかった。死して後にそれがわかるとは皮肉なものよ」
 あの女は、いない。自身を翻弄し続けて――その最期でもってまでも、惑わせたあの女は。
 鬼の女と見間違い、機嫌を損ねたのかもしれない。
 虞のやりそうなことだった。
「英傑達よ、我が元に再び馳せ参じてくれたこと、感謝する。無様な戦で敗れさせてしまったことを、深く詫びる。我は頼もう、この戦に付き合ってくれようか」
 応。
 応。
 応。
「楚軍よ、これが最後の戦ぞ。古の太公望を倣って、狐狩りと洒落込もうぞ」
 亡者の軍――僅か、八百余。



「女禍の力を、ここまで御するなんて」
 葉子の腕を奪った毒が、利かない。
「二人掛かりで抑え込むのがやっととはの」
 大蛇の化身は、その姿を消した。
「姉上、それに翁よ。存分に楽しませてもらったぞ。だが、宴は終わりだ。そろそろ……力も集まってきた」
 木の根に絡まった男を見やる。
 大国主命――大神の身に、再び力が宿っていた。
「さあ、もう一度、故郷を作ろうぞ!」
 二人は身構えるが、凌ぐだけで精一杯となっていた。
 チィの狂気は、二匹の大妖を凌駕していた。
「寝言は寝て言え」
 そして、肉薄した旧き英雄。
 黒衣の男の胸を、大剣が貫いた。
「……何のつもりだ、操り人形風情が」
「放て」
 空を染める無数の矢を竜巻で薙ぎ払うと、チィは僅かばかしの軍の先頭に立つ男に目を向けた。
「ふむ……征け」
「そういえば、お前は私の指示に従わなかったな。言ったであろう、操り人形がと。奏者に抗える筈が……何?」
 術を解けば土塊となるはずだった。
 斉天大聖しかり、面陵王しかり、四凶しかり、元はといえば、縁のある品々に女禍の力を吹き込んで生み出した依代なのだ。
「消えぬ?」
 亡者とはいえ、塵芥に等しいちっぽけな存在。
 片手で薙ぎ払えるが、数が揃えば煩わしい。
「誰かに、操られているのか?」
 玉藻御前に翁を見れば、二人とも戸惑っている。
「これは、我の意志よ。誰のものでも、ない」
 項羽が、宣言する。
「そうか」
 黒衣の男は、眉一つ動かさず、術式を地に描く。
 巨大な陣を中心に、四方の地面が裂ける。主だった者達は飛び上がり避けたが、避けられなかった英傑達の亡骸は奈落に沈んでいく。
「ならば、また、土塊に戻るがいい」
「戻るだろう。だが、お前が死んでからで充分だ」
 繰り出した槍。
 叩き付ける戟。
 鈴鹿御前と打ち合った時よりも、項羽の技は凄味をみせている。
 そして、表情を取り戻した同胞達が、嬉々として従っている。
「誰かは知らぬが、利用させてもらうぞ」
 翁が、言った。
 玉藻御前と顔を見合わせると、その場を離れる。
「この地の妖怪よ、好きにしろ。我はただ、気の向くままに振る舞うだけよ」
 龍且が、爪で縫い付けられた。亜父の姿は見えなくなった。叔父も、討ち取られた。
 項羽はまだ戦場にいる。
 満を持して、愛馬である騅を全力で走らせた。
「今ならば、劉邦をも討ち取れようぞ」
 項羽を庇って、章邯が斃れる。騅の膝が折れると、項羽は宙を舞った。
 放った槍は、項羽の戦歴の中でも、絶技と呼べる一撃だった。
「これでも、届かぬか」
「惜しかったが、お前は元々私の一部ということを忘れるな」
 槍は、チィの額に命中した。
 僅かに刺さりはしたが、そのままゆっくりと水のように同化している。
 謀られたのだろう。
 何時だって、そうだった。正面からぶつかって、項羽に勝てる者などいないのだ。
 自身の力が吸われていく。
 意識がゆっくりと蕩けていく。
 視界が白く消える寸前、項羽は女の姿を見た。



「おお、これほどの力を抱いていたのか!」
 亡者の力は、強大だった。これほどの力を分け与えていたのなら、逆らったのも頷けると、チィは呟いた。
 違和感を、感じる。右手が、痺れる。玉藻御前。朧な姿は、毒の瘴気の中に隠れていた。
「毒だと、そのような、小細工が、何故、今さら」
 姉の毒の凄まじさは知っている。殺生石と綽名を成したほどの毒だ。しかし、そのことを知っているからこそ、万全の対策をしてきていた。毒に対する術式を、身体中に張り巡らせていた。
 傷。
 額の傷。
 そこから、毒が入り込んだのか。
 翁が、剣を構えている。
 血走った眼で見やるが、身体が思うように動かない。意識を狩りとされそうになる。
 二つの力が、静かに目を覚ました。
「我が敵を穿て、天叢雲剣よ」
 ただの剣ならば、チィの身に傷一つつけることはできなかっただろう。
 だが、翁の持つ剣は、かって大神の手に渡ったその剣は、存在が違う。
 ゆっくりと、剣が身体に入り込んだ。黒い九尾の狐が、真っ二つになり掻き消える。半ばまでめり込んだところで、妖気を振り絞り、翁を吹き飛ばした。
「おのれ、おのれぇ!」
 項羽の力が、暴れる。
「ぎゃあ!」
 女禍の力が、狂う。
 半人半妖の姿でちいは転げまわった。
 翁と玉藻御前を見て、憤怒の形相を浮かべながら、苦しみのたうち回る。
「私が、私が、引導を渡してやる。それが、姉の役目だろう」
「姉、上ぁあああ! まだだ、このような、こんなところで死ぬわけにはいかぬ! 何のために、あの女に頭を伏したのだぁ! 力、力だ! 全てを平伏せさせる力……あるではないか」
 この場に在る、もっとも強大な力。
 一つの国を、変化させうる力。
 国造りの、力。 
 八霊にも、玉藻御前にも、それを妨げることが出来なかった。
 異国の大妖怪は、国譲りの神を――その身に、取り込んだ。
 かって、この地の妖怪全てに畏怖された、口にするのも憚られる悍ましい存在、金銀妖瞳の国津神の力を。