小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~跡目争い(43)~

 しげしげと両手を見やり、唇の両端をにんまりと吊り上げる。
 動きを確かめるように、長い髪を揺らしながらくるりと身を回した。
 翻る袖口、衣からきらきらと黒い鱗粉が舞い散る。
 首を傾け、深い隈の刻まれた目を姫様に向けた。
「これが、妾の身体か」
 猫背の痩身。彩華が言う。
「いかがでしょうか?」
「悪くはない――さっそく、試させてもらうぞ」
 何を試そうというのか、姫様にはすぐに察しがついた。
 まだ力は残っているが、ここは譲ろうと思った。
「どうか、お願いします」
 彩華は、ぼんやりとしている火羅の前に膝をついた。
「今のお前も、綺麗じゃが……なぁ、嬉しかったぞ。嬉しかったのだぞ。妾の我が儘に付き合ってくれて……嬉しかったのだぞ」
「何を、今さら」
「いや……お前を喰わなくてよかった」
 女の影が、伸びる。
 伸びた影は、火羅の肌――火傷を覆い、喪った手足の形を成す。
 影は薄れ、次第に白くなり、そして……火羅の傷が消えた。
 こわごわと両手を伸ばし、立ち上がった火羅は、しっかりと、痩身の女を抱きしめた。
 彩華は、照れくさそうに、火羅に抱かれていた。
「彩華……どうか、葉子ねえを、私の妖気だけでは、このままじゃ」
「それは、私にやらせて下さい」
 姫様が言い、彩華が鼻を鳴らす。
 さりげなく隠していた葉子の隻腕。
 ひびの浮き出た、今にも崩れ落ちそうな指。
 愛おしむように、姫様は両手で包んだ。
 淡い光、ぐるぐると胸の中で渦巻いている力を注ぎ込む。
「葉子さんの手は……暖かいですね」
「そうさか?」
「いつも暖かいです」
 ひびが消えていく。
 尾が揺れた。九本の尾だった。白い尾が、姫様の身体に、優しく絡みついた。
「こっちの腕は、戻んないさか?」
 隻腕、それに白髪は、変わらなかった。
 姫様の顔が歪んだ。助けを求めるように見やったが、彩華は小さく頭を振った。
「いや……これで、いいのさよ。そりゃあ、未練だ」
 注ぎ続ける力を、押し留める。
 悔しげな姫様に、
「多分……あたいは、この姿でいたいんだろう」
 そう、葉子は言った。
「葉美、あたいは、この先、九尾よりも娘を選ぶよ」
「……わかってる。だけど、葉子ねえは、私の姉ちゃんだ。ずっと、私たちの姉ちゃんだった。なのに私は、勝手に嫉妬して、追い出して、傷つけて、償いきれないけど……私は、姉ちゃんのためなら、何でもするから」
「葉子ねえ、か。随分と、古い呼び方をするさね」
「今だけだよ。私は、九尾の銀狐だもの。今だけは、そう呼ばせて」
 黒之助が複雑な表情を浮かべる。
 葉子は、いいさよと、一言返した。
「お腹は、平気さか? よく、頑張ったね。葉美は、えらい、私の自慢の妹さ」
 腹に触れ、耳を当てる。
 動いていると、言った。
「ふむ」
 器が広いと、黒之助は目を閉じた。 
「うぁ」
「彩花姉様の傷、大丈夫なのですか? 痛くないのですか?」
 朱桜が突進して、姫様はぽてんと太郎に背中を預けた。
「うん、私は大丈夫だよ。朱桜ちゃんの方こそ、大丈夫?」
「私は、大丈夫なのですよ……大丈夫に決まっているのですよ」
 そう言いながら、隠そうともせず、傷を癒そうとする。
 姫様は、胸に広がる心地よさに、身を預けた。
「あ、あの、彩花ちゃん、ここは、もう、大丈夫なの?」
 沙羅が言うと、なずなが険しい顔を向けた。
 皆が、はっとする。
 異様な世界……絶えず変化していたこの地の景色は、元の形を取り戻していた。
「……異国の、大陸の妖怪達は、どうなったのだ」
 葉美が、言った。
「まだ、いると思います。私は、国造りの力を使っただけですから」
 火羅、葉子、葉美、沙羅――この地に縁のある妖怪たちは、一様に顔をしかめた。
「国造りの力って、どういうことさか?」
「それは、えっと、その、この力の源は……何なのでしょう?」
 太郎が、言った。
「さっき、俺の頭の中で煩かったのは、多分そいつだ。途切れ途切れに、言ってた。もう、あの煩さはないな」
 葉子が、絶句した。
 黒之助が、絶句した。
 火羅が、絶句した。
 朱桜が、絶句した。
 沙羅が、葉美が、なずなが、美鏡が、絶句した。
「なんだ、お前ら、馬鹿みたいな顔して……あ、馬鹿にしてやがるな。いや、根拠はないけど、頭に浮かんだんだ。ところで、大国主って何だ?」
大国主命ならば、さもありなん」
 黒之助が、言った。
「あの神は、出雲に封じられていたはずだ」
 なずなが、冷ややかに言った。
「出雲は、頭領と争ったから……その、せい? 頭領が暴れて、封印が解けたというの? でも、伝承だと、恐ろしいことになるって。大国主が目覚めたわけじゃない?」
「ああ、その可能性はあるなぁ。いやはや、我が妹君は、聡いことよ」
「頭領? 黒之助の師匠という男か? 八百万の神と争う力があるというのか?」
 確かに出雲は静かだった。
 姫様も太郎達も、出雲を通っている。何かしら、神々の咎めを受けそうなものなのに、出会ったのは稲荷の眷属だけである。視線を感じはしたが、現れはしなかった。
 現れなかったのではなく、現れられなかったのか。
「頭領は……八岐大蛇だから」
 彩花の言葉に、朱桜が目を見開いた。
「……あー、うん。可哀想に、あの娘、正気を失っているのかな?」
「私は正気だと思うよ、美鏡」
「そんな馬鹿な、末姫様。ちょっと、葉子の姐さん、何か言ってあげてください」 
「ああ……そうだろうさよ」
「そうだったのか? やっぱり蛇だったんだな。時々、蛇臭かったもんな。で、やまたって何?」
「草薙ぎの剣を使えたでござるからなぁ」
 なずなが目を瞬かせる。
「ね、ねぇ、朱桜ちゃん、私の頬、つねって」
「はいです」
「痛い……真面目な話、なんだね」
「……大国主の話、太郎さんが言うなら、そうかもしれないですね」
「ちょっと、どういうことよ。それは、あの神は国造りの神で――妖怪を皆殺しにしようとした恐ろしい神よ。でも、太郎様と……あ」
 共通点に、火羅は気づいた。
 気づき、太郎の瞳を見やった。
「妖怪が、金銀妖瞳を、太郎さんの目を、やまめさんの目を、忌み嫌うのは何故ですか? それは、その本能に、あの神の、金銀妖瞳の神の恐怖を、刻み込まれているからでなのしょう? ……そこが、太郎さんにだけ聞こえた理由だと思います」
「冥府の神でも、あるしな」
 彩華が付け加える。
「どうするのじゃ? そこにも、首を突っ込むのか」
「私は関わってしまった。それに、親しい人達が関わっています。ご迷惑をおかけしたこと、重々承知の上で、言います。もう少しだけ、お付き合いいただけませんか?」
 姫様が、そう、言った。
「おう」
 頷いた太郎が、姫様の手を、大きな手で握った。
「……無茶しちゃだめさよ」
 葉子が、隻腕で姫様の頭を撫でた。
「ふむ、付き合いましょうぞ」
 黒之助が、凛々しく笑む。
「仕方ないわね、付き合ってあげるわよ」
 火羅が、胸を張った。
「当然なのです。彩花姉様と一緒に行くのです」
 朱桜が、胸を張った。 
「この子たちの、み、身を、守れるなら」
 沙羅が、控えめに言う。
「黒之助が行くならば」
 なずなが、当然と囁く。
「どうしようかな?」
「行こうよ、美鏡。居場所なんて、ないもの」
 稲荷の主従が、従うと言う。
「仇を討たねばなりません」
 葉美が、お腹をさすった。
「彩華姉さまはどうしますか?」
 火羅が、彩華の袖を引き絞る。
「言わずもがな、であろう。ちょうど、足も来たでな」
 妖しく笑い、天を指さす。
「……ええ」
 影が落ちる。
 空を見上げる。
 鬼ヶ城が、そこにあった。
 
 
 
「どういうことだ。国造りの力が消えただと」
「くっ、くっ、くっ、く、ざまぁ、ないね」
 黒衣の男が戸惑い、雌狐が嘲った。
「何がおかしい、姉上」
 鎖に繋がれた玉藻御前が、嗤う。
「チィ、お前は結局のところ、紛い物なんだね」
「偽物だと? 死者を操るこの私の力が、偽物だと?」
「本物じゃないよ。だって、一部だけじゃないか。偉そうに誇った四凶だって、紛い物じゃないか。お前は、力を欲して、偽りの力を手に入れて、何がしたいんだ?」
「黙れ」
 顔を蹴られた玉藻御前は、それでも、口を閉じなかった。
「いいや、わかる。あの景色は、だって、忘れられるわけないじゃないか。お前は、あの時の……妲己様達がいた私達の故郷を、軒猿墳を、もう一度作りたかったのだろう? だがね、妲己様も胡喜媚様も王貴人様も――優しかったあの人たちは、いないんだ。私達の故郷は、焼け落ちたんだ」
「黙れ」
「女媧の力を使ってまで、過去にしがみつきたかったのか。大国主の力を使って、そうしたかったのか。私の一族を、また、殺して……そうしたかったのか?」
「姉上には、わからぬ」
「ああ、わからないよ。お前が、私達を追い出してからは」
 玉藻御前が見上げた先に、木が、あった。
 大きな木である。
 木の根に、何かが絡まっていた。
 人だ。
 男であった。
 目を閉じている。
 古い衣を着た人が、根に囚われていた。
「あの神の力は、無尽蔵だ。また、国造りが始まる。金咬は良い仕事をした」
「なぁ、チィ。一人じゃ無理だよ」
「一人ではない」
「いいや……お前が連れてきた妖は、軒猿墳で死んだ方々ばかり。それに、死人、お前は一人でここに来たんだ」
 軒猿墳――玉藻御前姉弟が、育った場所だった。
 そこには、妲己という、九尾の女がいた。
 妲己は、人でも妖怪でも、分け隔てなく扱った。
 妲己は、胡喜媚という雉の妖怪と、王貴人という琵琶の妖怪とともに、軒猿墳で身寄りのない子供たちを育てていた。
 そして、女媧に目をつけられ、神々の争いの駒として死んだ。
「一人ではないと言っただろうが! 俺はこの地を軒猿墳にするのだ! 女媧の手の及ばぬ……軒猿墳にするのだ
「無理だ、チィ。お前は弄ばれるだけだ」
「いいや、違う」
「いいや……違うぞ、チィとやら」
 その声は、玉藻御前でも、チィでもなかった。
 もしや大国主かと見れば、目を閉じたままである。
「誰だ、お前は?」
 翁に、チィは気づいた。
「八岐大蛇」
 薄汚れた翁は、そう、言った。