益州騒乱(4)~趙雲、徐庶に槍を向け、張飛、陳到を心配す~
原野に張られた陣幕。暗く、沈んでいた。
主達に、いつもの活気がないのだ。
陳到は部屋に籠もり、張飛はその戸の前でそわそわ。
趙雲も、槍を片手に三角座りで黙りこくって。
一人、徐庶だけが、気にするでなく呑気に酒を飲んでいた。
星空をつまみに、ほろ酔いに。
火照った体には、流れる風が心地よかった。
ちゃり、ちゃり。
足音。背後。音の主は、近づいてくる。
わざと自分の存在を知らせているように、徐庶には聞こえた。
「何をしたんですか……」
向き直る。槍を光らす、趙雲であった。
「さあて」
「真面目に答えて下さい!」
「おいおい。そう、怒るな」
「怒ります! 当たり前です!」
「ふむ」
したり顔で、顎を撫でた。
酔って赤い徐庶と、酔ったように赤い趙雲。
趙雲が、槍を向けた。
殺気が込められていた。
「それは……大人をからかうもんじゃないぞ」
すっとその眼差しが、真剣さを帯びた。戯けた空気が、泡と消えた。
「何をしたんですか? 陳到お姉さんに」
「陳到『お姉さん』か。よくよく慕ってるな、あいつのこと」
戯けた調子だがやはり、眼は笑っていない。
獲物を見る獣のような、鋭さを誇っていた。
「当然です。僕に、戦う術を教えてくれたのは、陳到お姉さんです。それだけじゃない……色んなことを、教えてくれました」
「あいつがねぇ……」
「だから……陳到お姉さんを悲しませる人を、僕は許しません。たとえ、徐庶さんでも」
「……うーん」
表情が和らいだ。
足音たてず、槍を手で避けながらすっと近づくと、趙雲の小さな頭に、手を、置いた。
「そうかそうか。まあ、悪くはない」
「徐庶さん。本当に陳到お姉さんに何をしたんですか?」
「そんなに、悲しそうに見えたか?」
「……僕は……あんな陳到お姉さん、今まで見たことないです」
「あいつ、覆面してるぞ?」
「それでも、わかります」
悲しげな表情。殺気が、消えた。
「……まあ、座れ」
「……はい」
あぐらを掻いたまま、手招きする。徐庶の隣に、体育座り。槍は、持ったままであった。
「張飛は?」
「心配してます。すっごく、おろおろしてます。多分、今も部屋の前をうろうろしてるはずです」
「あいつ……なぁ、趙雲。お前から見て、張飛と陳到の仲はどうだ?」
「仲?」
「長い間傍で見てたんだろう? どうだ?」
「お二人? 仲は良い方ですよ。喧嘩したこともないですし」
「ほう、ほうほう」
張飛がねぇ。関羽とも、してたのに。
「それが?」
「……俺が、何を言ったか教えてやろうか?」
「……はい」
「馬鹿弟子を、ちと叱咤激励してやったんだ。お前には悪いが」
「叱咤激励? 僕には悪い?」
「ふむ、こういうことだ」
「おい、陳到!」
そわそわ。
「……なぁ、陳到よぉ」
そわそわそわ。
優しい声を出したつもりだが、そう陳到には聞こえただろうか?
自信は、なかった。
走り出した陳到を、趙雲と二人で追いかけた。
人の足と馬の脚。追いつくことは容易のはずだった。
が。
追いつけなかった。みるみる引き離された。しまいにはマキビシまで撒かれた。
うん、大変だった。無理に馬を動かし、落ちて、けつに刺さった。
二つに割れたかと思った。
一人、幕舎に戻り、一人、部屋に籠もり。
それから、ずっとこの調子だ。
兵が言うには、相当に荒れていたのだという。
色々と、轟音が響いたそうな。初めてだと、肝を潰していた。
張飛が部屋の前に来てからは、その音は聞こえない。
声をかけても、返事はなかった。
居ることは確かなのだが……
「もう、寝ちまったのか?」
濁声が、煩わしかった。生来の大声と重なって、だ。
こういうときには、小兄貴の美声が羨ましい。
「えっと……なぁ、おい。趙雲も、心配してる。とにかくだ……は、腹減ってねえか? 何か食わねぇか?」
うんともすんとも言わない。
死……それは、ない。生きている。
無理に入ろうかとも思ったが、それは止めた。
押し留まる自分が、少し不思議だった。
少しは、分別というものがついてきたのだろうか?
「張飛殿……」
「お、おう!」
気配。
動いた。
戸の傍にいる。薄布で隔てた、すぐ、側に。
「お一人ですか……」
「ちょ、趙雲もいねぇよ!」
徐庶を探しに、暗い眼差しでどこかへ行ってしまった。
「そうですか……」
何かが落ちた。
布の落ちる音が聞こえた。
張飛は首を傾げた。
「張飛殿以外、本当に誰もいませんね……」
「お、おうよ」
細い、声だった。いつもよりも細く、そして強く感じられた。
おかしなことだった。
布で作られた、簡単な戸。ぱさりと開けられ、女の顔が見えた。
「陳到……」
素顔を晒し、青痣を生き物のように動かし、悲しげに微笑んだ。
それから、
「お話があります……」
そう言い、部屋に入るよう静かに促した。
惚けたように、張飛は言うとおりにした。
主達に、いつもの活気がないのだ。
陳到は部屋に籠もり、張飛はその戸の前でそわそわ。
趙雲も、槍を片手に三角座りで黙りこくって。
一人、徐庶だけが、気にするでなく呑気に酒を飲んでいた。
星空をつまみに、ほろ酔いに。
火照った体には、流れる風が心地よかった。
ちゃり、ちゃり。
足音。背後。音の主は、近づいてくる。
わざと自分の存在を知らせているように、徐庶には聞こえた。
「何をしたんですか……」
向き直る。槍を光らす、趙雲であった。
「さあて」
「真面目に答えて下さい!」
「おいおい。そう、怒るな」
「怒ります! 当たり前です!」
「ふむ」
したり顔で、顎を撫でた。
酔って赤い徐庶と、酔ったように赤い趙雲。
趙雲が、槍を向けた。
殺気が込められていた。
「それは……大人をからかうもんじゃないぞ」
すっとその眼差しが、真剣さを帯びた。戯けた空気が、泡と消えた。
「何をしたんですか? 陳到お姉さんに」
「陳到『お姉さん』か。よくよく慕ってるな、あいつのこと」
戯けた調子だがやはり、眼は笑っていない。
獲物を見る獣のような、鋭さを誇っていた。
「当然です。僕に、戦う術を教えてくれたのは、陳到お姉さんです。それだけじゃない……色んなことを、教えてくれました」
「あいつがねぇ……」
「だから……陳到お姉さんを悲しませる人を、僕は許しません。たとえ、徐庶さんでも」
「……うーん」
表情が和らいだ。
足音たてず、槍を手で避けながらすっと近づくと、趙雲の小さな頭に、手を、置いた。
「そうかそうか。まあ、悪くはない」
「徐庶さん。本当に陳到お姉さんに何をしたんですか?」
「そんなに、悲しそうに見えたか?」
「……僕は……あんな陳到お姉さん、今まで見たことないです」
「あいつ、覆面してるぞ?」
「それでも、わかります」
悲しげな表情。殺気が、消えた。
「……まあ、座れ」
「……はい」
あぐらを掻いたまま、手招きする。徐庶の隣に、体育座り。槍は、持ったままであった。
「張飛は?」
「心配してます。すっごく、おろおろしてます。多分、今も部屋の前をうろうろしてるはずです」
「あいつ……なぁ、趙雲。お前から見て、張飛と陳到の仲はどうだ?」
「仲?」
「長い間傍で見てたんだろう? どうだ?」
「お二人? 仲は良い方ですよ。喧嘩したこともないですし」
「ほう、ほうほう」
張飛がねぇ。関羽とも、してたのに。
「それが?」
「……俺が、何を言ったか教えてやろうか?」
「……はい」
「馬鹿弟子を、ちと叱咤激励してやったんだ。お前には悪いが」
「叱咤激励? 僕には悪い?」
「ふむ、こういうことだ」
「おい、陳到!」
そわそわ。
「……なぁ、陳到よぉ」
そわそわそわ。
優しい声を出したつもりだが、そう陳到には聞こえただろうか?
自信は、なかった。
走り出した陳到を、趙雲と二人で追いかけた。
人の足と馬の脚。追いつくことは容易のはずだった。
が。
追いつけなかった。みるみる引き離された。しまいにはマキビシまで撒かれた。
うん、大変だった。無理に馬を動かし、落ちて、けつに刺さった。
二つに割れたかと思った。
一人、幕舎に戻り、一人、部屋に籠もり。
それから、ずっとこの調子だ。
兵が言うには、相当に荒れていたのだという。
色々と、轟音が響いたそうな。初めてだと、肝を潰していた。
張飛が部屋の前に来てからは、その音は聞こえない。
声をかけても、返事はなかった。
居ることは確かなのだが……
「もう、寝ちまったのか?」
濁声が、煩わしかった。生来の大声と重なって、だ。
こういうときには、小兄貴の美声が羨ましい。
「えっと……なぁ、おい。趙雲も、心配してる。とにかくだ……は、腹減ってねえか? 何か食わねぇか?」
うんともすんとも言わない。
死……それは、ない。生きている。
無理に入ろうかとも思ったが、それは止めた。
押し留まる自分が、少し不思議だった。
少しは、分別というものがついてきたのだろうか?
「張飛殿……」
「お、おう!」
気配。
動いた。
戸の傍にいる。薄布で隔てた、すぐ、側に。
「お一人ですか……」
「ちょ、趙雲もいねぇよ!」
徐庶を探しに、暗い眼差しでどこかへ行ってしまった。
「そうですか……」
何かが落ちた。
布の落ちる音が聞こえた。
張飛は首を傾げた。
「張飛殿以外、本当に誰もいませんね……」
「お、おうよ」
細い、声だった。いつもよりも細く、そして強く感じられた。
おかしなことだった。
布で作られた、簡単な戸。ぱさりと開けられ、女の顔が見えた。
「陳到……」
素顔を晒し、青痣を生き物のように動かし、悲しげに微笑んだ。
それから、
「お話があります……」
そう言い、部屋に入るよう静かに促した。
惚けたように、張飛は言うとおりにした。