小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

益州騒乱(4)~趙雲、徐庶に槍を向け、張飛、陳到を心配す~

 原野に張られた陣幕。暗く、沈んでいた。

 主達に、いつもの活気がないのだ。

 陳到は部屋に籠もり、張飛はその戸の前でそわそわ。

 趙雲も、槍を片手に三角座りで黙りこくって。

 一人、徐庶だけが、気にするでなく呑気に酒を飲んでいた。

 星空をつまみに、ほろ酔いに。

 火照った体には、流れる風が心地よかった。

 ちゃり、ちゃり。

 足音。背後。音の主は、近づいてくる。

 わざと自分の存在を知らせているように、徐庶には聞こえた。

「何をしたんですか……」

 向き直る。槍を光らす、趙雲であった。

「さあて」

「真面目に答えて下さい!」

「おいおい。そう、怒るな」

「怒ります! 当たり前です!」

「ふむ」

 したり顔で、顎を撫でた。

 酔って赤い徐庶と、酔ったように赤い趙雲

 趙雲が、槍を向けた。

 殺気が込められていた。

「それは……大人をからかうもんじゃないぞ」

 すっとその眼差しが、真剣さを帯びた。戯けた空気が、泡と消えた。

「何をしたんですか? 陳到お姉さんに」

陳到『お姉さん』か。よくよく慕ってるな、あいつのこと」

 戯けた調子だがやはり、眼は笑っていない。

 獲物を見る獣のような、鋭さを誇っていた。

「当然です。僕に、戦う術を教えてくれたのは、陳到お姉さんです。それだけじゃない……色んなことを、教えてくれました」

「あいつがねぇ……」

「だから……陳到お姉さんを悲しませる人を、僕は許しません。たとえ、徐庶さんでも」

「……うーん」

 表情が和らいだ。

 足音たてず、槍を手で避けながらすっと近づくと、趙雲の小さな頭に、手を、置いた。

「そうかそうか。まあ、悪くはない」

徐庶さん。本当に陳到お姉さんに何をしたんですか?」

「そんなに、悲しそうに見えたか?」

「……僕は……あんな陳到お姉さん、今まで見たことないです」

「あいつ、覆面してるぞ?」

「それでも、わかります」

 悲しげな表情。殺気が、消えた。

「……まあ、座れ」

「……はい」

 あぐらを掻いたまま、手招きする。徐庶の隣に、体育座り。槍は、持ったままであった。

張飛は?」

「心配してます。すっごく、おろおろしてます。多分、今も部屋の前をうろうろしてるはずです」

「あいつ……なぁ、趙雲。お前から見て、張飛陳到の仲はどうだ?」

「仲?」

「長い間傍で見てたんだろう? どうだ?」

「お二人? 仲は良い方ですよ。喧嘩したこともないですし」

「ほう、ほうほう」

 張飛がねぇ。関羽とも、してたのに。

「それが?」

「……俺が、何を言ったか教えてやろうか?」

「……はい」

「馬鹿弟子を、ちと叱咤激励してやったんだ。お前には悪いが」

「叱咤激励? 僕には悪い?」

「ふむ、こういうことだ」



「おい、陳到!」

 そわそわ。

「……なぁ、陳到よぉ」

 そわそわそわ。

 優しい声を出したつもりだが、そう陳到には聞こえただろうか?

 自信は、なかった。

 走り出した陳到を、趙雲と二人で追いかけた。

 人の足と馬の脚。追いつくことは容易のはずだった。

 が。

 追いつけなかった。みるみる引き離された。しまいにはマキビシまで撒かれた。

 うん、大変だった。無理に馬を動かし、落ちて、けつに刺さった。

 二つに割れたかと思った。

 一人、幕舎に戻り、一人、部屋に籠もり。

 それから、ずっとこの調子だ。

 兵が言うには、相当に荒れていたのだという。

 色々と、轟音が響いたそうな。初めてだと、肝を潰していた。

 張飛が部屋の前に来てからは、その音は聞こえない。

 声をかけても、返事はなかった。
 
 居ることは確かなのだが……

「もう、寝ちまったのか?」

 濁声が、煩わしかった。生来の大声と重なって、だ。

 こういうときには、小兄貴の美声が羨ましい。

「えっと……なぁ、おい。趙雲も、心配してる。とにかくだ……は、腹減ってねえか? 何か食わねぇか?」 

 うんともすんとも言わない。

 死……それは、ない。生きている。

 無理に入ろうかとも思ったが、それは止めた。

 押し留まる自分が、少し不思議だった。

 少しは、分別というものがついてきたのだろうか?

張飛殿……」

「お、おう!」

 気配。

 動いた。

 戸の傍にいる。薄布で隔てた、すぐ、側に。

「お一人ですか……」

「ちょ、趙雲もいねぇよ!」

 徐庶を探しに、暗い眼差しでどこかへ行ってしまった。

「そうですか……」

 何かが落ちた。

 布の落ちる音が聞こえた。

 張飛は首を傾げた。

張飛殿以外、本当に誰もいませんね……」

「お、おうよ」

 細い、声だった。いつもよりも細く、そして強く感じられた。

 おかしなことだった。

 布で作られた、簡単な戸。ぱさりと開けられ、女の顔が見えた。

陳到……」

 素顔を晒し、青痣を生き物のように動かし、悲しげに微笑んだ。

 それから、

「お話があります……」

 そう言い、部屋に入るよう静かに促した。

 惚けたように、張飛は言うとおりにした。