あやかし姫~彼岸の月(2)~
「太郎様も、他の方々も、行ってしまったわね」
「ええ」
「……寂しいわね」
周りを見渡し、火羅は、そう、言った。
「毎年のことです……それに今年は、」
姫様は、そこで、言之葉を止めた。
付喪神が、ぴんと聞き耳を立てる。
「火羅さんがいますし」
その言葉を聞くと、照れ隠しなのか顔を隠し、くっと息を吐くと、火羅はいそいそと古寺に戻っていった。
「……いつも一緒にいてくれた、太郎さんがいませんけど……」
それは、密かな密かな紡ぎであった。
おいで――
小さな狼を抱えると、姫様も古寺に戻っていった。
「どうしたんですか?」
「そうねぇ」
古寺の門前。
真紅の妖狼が、そこに立っていた。
「どうしたんだろう?」
不思議そうに、首を傾けた。
本当にその動作は自然で子供っぽくて――姫様は少し笑みを浮かべた。
「結構遠いね。火車でも疲れるものだわ。ねぇ、中に入れてくれない? 少し休みたいんだけど」
結界があるから――壊してもいいんだけどね。
そう言いながら、何もないところで壁に触れるような仕草をした。
「どうぞ」
姫様の言葉を受けて、柔らかく微笑みながら、敷地内に一歩踏み入れた。
例え結界を張っていようと、言之葉を与え招き入れることを許せば、それは力を発揮しない。
「姫さん」
黒之助が片眉をつり上げる。
勝手なことをと。妖達も、騒がしくなる。
制するように、姫様が右手を肩の高さまで挙げた。
しんと、静まりかえった。
気にする風でなく、妖狼の姫君は姫様の前に立った。
「あまり変わりないわね」
「それほど、時間は経っていませんから」
「そうね……」
夏。二人、ここで過ごした。
楽しく、辛い、日々であった。
「しばらく、ここで、この場所でいたいんだけど、どうかな」
もごもごとした、小さな声。
顔を横向け、目を合わさないようにして、火羅は言った。
太郎が、はっと姫様を見やる。
妖達は、訝しげに火羅を見やる。
「……私はいいですよ」
姫様の声は、晴れ晴れとした明るいもので。
予想していなかったのであろう、「え、いいの?」と、火羅は、目をぱちくりとさせた。
同じく、予想していなかったのだろう。頭領や太郎や黒之助や雑多な妖達は口を大きくして、姫様を見やった。
一人、葉子だけは、ふーんと手を後ろに廻した。
思うところがあったらしい。
姫様、皆に向き直る。
「いいですよね、頭領。これで……大丈夫ですよ」
四の五の、言わせぬ。そんな、無言の迫力が。
銀狐はなるほどねっとにまーっと笑い、黒之助は顎に手をやった。
「……えっと……」
頭領、額を抑える。
確かに、力ある妖じゃが……信用できるのか?
うーむ、うむむむむ。
……一度言い出したら、聞かぬ娘じゃ。
「好きにせい」
「お、おいおい……」
こうして姫様は、彼岸の間、真紅の妖狼に、守られることになった。
「てっきり、断られるかと思った」
「どうしてですか?」
居間で、ぽつぽつと言葉を交える。
妙な圧迫感が漂うので、付喪神達はどうにもこうにもいたたまれなくなり、早々にここを出ていっていた。
守る気はあれど、守る力は無し。それが古寺の小妖である。
「いや、それはねぇ……」
「丁度良かったんですよ。火羅さんがいてくれるから、皆安心してお出かけできます」
「そうかしら? あの烏天狗は私のこと随分と警戒していたわよ」
「クロさん……そうかな?」
「そうよ。ところで、さっきからずっと気になってたんだけど……その子、何?」
火羅は、姫様の膝の上で眠る子犬を指差した。
「あ、この子は」
「……何となく太郎様と似てるわね……ま、まさか、太郎様の子供!?」
「……はぁ!?」
「そ、そんな! まだ、そんなに時間は経ってないのよ! 早い、早いわよ! あ、でも人と妖だから……って、そんなの、ゆ、許さないんだから!?」
激昂した。
一人で勝手に、激昂した。
白刃が、煩わしげに頭を起こした。
「いえ、この子は」
苦笑する。ふさふさと、白い頭を撫でる。
白刃は、ふわぁと、心地良さげなあくびをついた。
その姫様の余裕ともとれる態度が、火羅の油に火を注いだ。
「この子! この子!? やっぱり!? それにその余裕! それが勝者の余裕なの、そうなの!? 貴方って人は、やっぱり本性は! 楚々とした顔をして……ふ、ふん!」
「あー、もお!」
姫様耐えきれなくなり、ついに声を荒げた。
「白刃! は・く・じ・んです! 私の式神!」
「……え?」
聞き覚えがあった。
見覚えは――やはり、なかった。
「太郎さんと私の子供じゃ……ないで……す……はぃ」
ほんのりと、姫様は頬を赤らめた。
「どうしてそこで頬が赤くなるのよ!?」
「な、何でもないです!」
「あの式神なら、どうしてこんなに小さく弱々しいの?」
「ひ、秘密です……」
「そう」
落ち着いてきた。
式神ねぇ。
式神です。
はい。
ありがと。
それから、二人は、静かに静かーに庭を見やった。
彼岸花が、赤く赤く、庭の隅で咲いていた。
白刃が、火羅の膝の上で尾を、揺らした。
「ええ」
「……寂しいわね」
周りを見渡し、火羅は、そう、言った。
「毎年のことです……それに今年は、」
姫様は、そこで、言之葉を止めた。
付喪神が、ぴんと聞き耳を立てる。
「火羅さんがいますし」
その言葉を聞くと、照れ隠しなのか顔を隠し、くっと息を吐くと、火羅はいそいそと古寺に戻っていった。
「……いつも一緒にいてくれた、太郎さんがいませんけど……」
それは、密かな密かな紡ぎであった。
おいで――
小さな狼を抱えると、姫様も古寺に戻っていった。
「どうしたんですか?」
「そうねぇ」
古寺の門前。
真紅の妖狼が、そこに立っていた。
「どうしたんだろう?」
不思議そうに、首を傾けた。
本当にその動作は自然で子供っぽくて――姫様は少し笑みを浮かべた。
「結構遠いね。火車でも疲れるものだわ。ねぇ、中に入れてくれない? 少し休みたいんだけど」
結界があるから――壊してもいいんだけどね。
そう言いながら、何もないところで壁に触れるような仕草をした。
「どうぞ」
姫様の言葉を受けて、柔らかく微笑みながら、敷地内に一歩踏み入れた。
例え結界を張っていようと、言之葉を与え招き入れることを許せば、それは力を発揮しない。
「姫さん」
黒之助が片眉をつり上げる。
勝手なことをと。妖達も、騒がしくなる。
制するように、姫様が右手を肩の高さまで挙げた。
しんと、静まりかえった。
気にする風でなく、妖狼の姫君は姫様の前に立った。
「あまり変わりないわね」
「それほど、時間は経っていませんから」
「そうね……」
夏。二人、ここで過ごした。
楽しく、辛い、日々であった。
「しばらく、ここで、この場所でいたいんだけど、どうかな」
もごもごとした、小さな声。
顔を横向け、目を合わさないようにして、火羅は言った。
太郎が、はっと姫様を見やる。
妖達は、訝しげに火羅を見やる。
「……私はいいですよ」
姫様の声は、晴れ晴れとした明るいもので。
予想していなかったのであろう、「え、いいの?」と、火羅は、目をぱちくりとさせた。
同じく、予想していなかったのだろう。頭領や太郎や黒之助や雑多な妖達は口を大きくして、姫様を見やった。
一人、葉子だけは、ふーんと手を後ろに廻した。
思うところがあったらしい。
姫様、皆に向き直る。
「いいですよね、頭領。これで……大丈夫ですよ」
四の五の、言わせぬ。そんな、無言の迫力が。
銀狐はなるほどねっとにまーっと笑い、黒之助は顎に手をやった。
「……えっと……」
頭領、額を抑える。
確かに、力ある妖じゃが……信用できるのか?
うーむ、うむむむむ。
……一度言い出したら、聞かぬ娘じゃ。
「好きにせい」
「お、おいおい……」
こうして姫様は、彼岸の間、真紅の妖狼に、守られることになった。
「てっきり、断られるかと思った」
「どうしてですか?」
居間で、ぽつぽつと言葉を交える。
妙な圧迫感が漂うので、付喪神達はどうにもこうにもいたたまれなくなり、早々にここを出ていっていた。
守る気はあれど、守る力は無し。それが古寺の小妖である。
「いや、それはねぇ……」
「丁度良かったんですよ。火羅さんがいてくれるから、皆安心してお出かけできます」
「そうかしら? あの烏天狗は私のこと随分と警戒していたわよ」
「クロさん……そうかな?」
「そうよ。ところで、さっきからずっと気になってたんだけど……その子、何?」
火羅は、姫様の膝の上で眠る子犬を指差した。
「あ、この子は」
「……何となく太郎様と似てるわね……ま、まさか、太郎様の子供!?」
「……はぁ!?」
「そ、そんな! まだ、そんなに時間は経ってないのよ! 早い、早いわよ! あ、でも人と妖だから……って、そんなの、ゆ、許さないんだから!?」
激昂した。
一人で勝手に、激昂した。
白刃が、煩わしげに頭を起こした。
「いえ、この子は」
苦笑する。ふさふさと、白い頭を撫でる。
白刃は、ふわぁと、心地良さげなあくびをついた。
その姫様の余裕ともとれる態度が、火羅の油に火を注いだ。
「この子! この子!? やっぱり!? それにその余裕! それが勝者の余裕なの、そうなの!? 貴方って人は、やっぱり本性は! 楚々とした顔をして……ふ、ふん!」
「あー、もお!」
姫様耐えきれなくなり、ついに声を荒げた。
「白刃! は・く・じ・んです! 私の式神!」
「……え?」
聞き覚えがあった。
見覚えは――やはり、なかった。
「太郎さんと私の子供じゃ……ないで……す……はぃ」
ほんのりと、姫様は頬を赤らめた。
「どうしてそこで頬が赤くなるのよ!?」
「な、何でもないです!」
「あの式神なら、どうしてこんなに小さく弱々しいの?」
「ひ、秘密です……」
「そう」
落ち着いてきた。
式神ねぇ。
式神です。
はい。
ありがと。
それから、二人は、静かに静かーに庭を見やった。
彼岸花が、赤く赤く、庭の隅で咲いていた。
白刃が、火羅の膝の上で尾を、揺らした。