小説置き場2

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あやかし姫~そのお出かけの日(9)~

 居間で、対座する。
 正座して早々、朱桜は、葉子の隣に腰を下ろした火羅に、
「どうして、そこにいるの?」
 と、詰るような言い方で尋ねた。
 葉子は、朱桜の後ろに腰を下ろした鬼の表情を窺った。片割れははらはらと、もう片割れは面白そうにしているように思えた。
「……私は、ここで暮らしてもいいと、ここにいてもいいと」
 火羅の答えに、ふーんと返し、冷めた目で見やる。
「火羅は、ここにいちゃ駄目ですよ?」
「あ、あの」
「朱桜ちゃん、火羅はね、姫様の大切な友人で」
 大切な友人――そこに、力を込めた。
 朱桜の角が、葉子が力を込めた部分で、音を立てた。
 今のはと角に目をやる前に、葉子が目を剥くようなことを鬼の子は言ってのけた。
「はい? 葉子さん、何を言ってるですか? この人が、彩花様の友人なわけないですよ。汚らわしい」
「け、汚って、朱桜ちゃん!」
 葉子が怒気を表しても、反省する様子を見せず、薄笑みを貼り付けていた。
 朱桜の表情がさっきから変わっていないことに、葉子は気がついた。
 嫌な感じがした。
「彩花様も、クロさんも、私が来たのに、いないのですね」
 また、訊いてきた。
「それは、今日はたまたま」
「貴方のせい?」
「違います……」
「貴方のせいですか? 
 私に会わせないようにしているですか? 
 ……いなくなればいいですよ。いなくなっちゃえばいいですよ。
 お優しい彩花様にどうつけ込んだのか知らないですが。
 ……お前が、ここで暮らすなんて、暮らせるなんて、許さない。
 火羅……薄汚い妖狼の女。彩花様を汚そうとする者は私が許さない。
 絶対に……絶対に!」
 思わず、腰を浮かした。部屋の中で、片袖が大きく揺れる。
 小妖達が逃げていく。
 朱桜が、黒い、霞のような妖気を纏った。
 全身が包まれ、見えなくなる。
 見えなくなる間際の、狂った眼。葉子は、その眼を知っていた。
 九尾の里を離れる前の日、妹にまざまざと見せつけられたものと、同じだった。
 妖気が渦を巻き、かち、かちりと、音がする。
 歯軋りの音だろうか。
 その後には、肉が動き、骨が軋む音。
 聞き覚えのある音。
 変化、している。
 渦の中から朱桜を引っ張り出そうとした星熊の手が、妖気に弾かれ、焦げ臭さを漂わせた。
「火羅……逃げろ!」
「葉子さん」
「朱桜ちゃんは正気を失ってる!」
「私の、せい? 私のせいなの?」
 眉を寄せ、今にも泣きそうで。
 初めて会ったとき、好きじゃないなと葉子は思った。高飛車で、傲慢に思えた。現に、姫様をたかが人風情がと言い放った。
 今は、そうでもない。
 あれは、仮初めの姿だった。
 姫様とのやり取りを見て、従者とのやり取りを見て、これが本当の火羅なのだと思った。
 少女の姿は、嫌いではなかった。
 姫様とのやり取りは、見ていて楽しかった。
 姫様もまた、あまり表にしない部分を見せていた。
「泣いている暇があったら、とっとと」
「正気ですよ、葉子さん」
 朱桜と思しき声がした。渦の中から聞こえた。どこか違う。
 少し、低くなっている。
 声を聞いたときから、身体が、縫いつけられたように動かなくなった。それは、火羅も同じだった。
「ええ、私は正気です」
 ゆっくりと闇の中から歩み出る、一人の女。
 肩で切り揃えられた黒髪。同じく真っ直ぐに揃えられた前髪の間から、ぐっと伸び立つ二本の角。
 豊かな肢体が、黒い衣越しにわかった。
「朱桜、ちゃん……」
 綺麗になった。背丈が伸びた。
 朱桜は、大人の姿になっていた。
 狂った眼。
 同じだった。恋慕と嫉妬で満ちている。葉子には理解しにくい感情。
 薄笑み。
 火羅に、向けていた。
「朱桜様が……」
 つぅっと地面を滑ると、朱桜の白い手が、火羅の顎に触れた。
 足下を見やると、地面に着いていない。浮かんでいた。
 衣が変わっている。童女の物から、裾の長い、漆黒の着物へと。
「汚いです」
 口調は幼い朱桜のものだが、声色は大の女のものだった。
 長く伸びた指の爪が、ゆっくりと火羅の肌に食い込み、赤い血を流させる。
「お待ち下さい!」
 息を呑んで呆然と見ていた星熊は、我に返ると、朱桜を停めようとした。彼も、葉子と同じく、朱桜が正気を失っていると思ったのだ。
 額に煌めく星をめきりと現し鬼の姿になると、朱桜を押さえようとした。
 そして、彼は逆に、押さえつけられた。
「虎熊、貴様、何故!?」
「星熊、面白いじゃないか。我らの姫君は、ご立派になられたぞ」
 黄紋様と黒紋様で全身を覆う鬼が、星熊童子を押さえつけたのだ。
「火羅!」
 火羅を朱桜の手から奪い取ると、葉子は震える身体を抱き締め、庇うように、朱桜に背を向けた。
 ぺちゃ、と、音がした。
 爪から火羅の血が滴り落ちた。
「葉子さん、汚いですよ?」
「汚くなんかないさよ!」
 葉子が叫ぶ。さらに強く、火羅の身体を抱き締めた。
 火羅は、姫様よりもずっと豊かな肢体を持っている。
 それが、腕の中では、小さく感じられた。
「どけ、虎熊! これは、こんなのは、朱桜様ではない!」
「星熊、何を言う。立派な鬼の姫君だ。これなら……東の鬼姫を、殺せるかもしれんぞ」
「お前、まだ、」
「物足りないんだよ、王も、その弟君も、娘も! 先代の酒呑童子を殺した覇気は、どこにいった!」
「朱桜様のことを、気に入っていたのではないのか?」
「ただの鬼の童女ならば。鬼の姫君なら、失格だ。俺は、従う気はない。今のままなら、酒呑童子様に倣うつもりだ。俺が、名を継ぐ」
「馬鹿が、黒夜叉の二の舞になりたいのか」
鈴鹿御前を殺すためなら、やってやる。だが……この朱桜様なら、文句は、ない。喜んで従おう」
 朱桜様、私が星熊童子を。その間に、その女を。
 虎熊童子が声を掛けても、朱桜は反応を示さなかった。
「朱桜ちゃん、やめて! こんな事をして姫様が」
 ぴくと、反応した。
 火羅は、葉子の肩越しに、鬼の子の顔を見やった。
 深い喜びと、狂気しかなかった。
「彩花様……朱桜のこと、褒めてくれますよね。 
 よくやったって、抱き締めてくれますよね。
 私、彩花様のお役に立ちたいのですよ
 ああ、何も出来なかった。手を差し伸べられなかった。
 これは、せめてもの罪滅ぼしですよ。
 はぁ……彩花様」
 うっとりとした声。これから大功を成すのだと自分に酔っていた。
 妖気の衰えた火羅の身体には、朱桜の発する膨大な妖気は酷くこたえた。
 大妖である玉藻御前と遜色ない妖気が、そこにはあった。
 葉子も、苦しそうにしていた。
 互いに、玉粒の汗を肌に浮かべていた。
「葉子さん……あの、あのね、私に優しくしてくれて、ありがとうって言っておくね」
「なに言ってるのさ、こんな時に」
「琵琶、嬉しかった。とっても嬉しかった」
「……あんたの曲、よかったよ。お師匠さんには負けるけど」
「彩花さんは、いいわね。葉子さんみたいな、素敵なお母さんがいて」
「あんたも、欲しいのかい?」
「……」
「葉美も、木助も、育てた。姫様も育てた。今さら、一人や二人増え」
 庇ってくれていた葉子を、横に突き飛ばす。
 もんどり打って倒れると、葉子は、朱桜の妖気に圧され、動けなくなった。
 必死に立ち上がろうとしている。
 一人きりで、火羅は朱桜と向かい合う。どうやら、助けは期待できないらしい。
 鬼の片割れも、もう片割れに押さえつけられている。
 あの女は来てくれないのかと思った。
「這いつくばれ」
 頭。妖気に押さえつけられる。耐えようとした。
 耐えられない。
 ひんやりとした畳の冷たさを、肌で感じた。
「そう、そうですよ」
 ぱちぱちと手を叩いている。
 炎は、あがらない。
 真紅の妖狼の姫君の名が、嘘みたいだと思った。
「彩花様……私、やります。彩花様の願いを、叶えます。叶えて差し上げます」
 夢を、見ているようだ。
 大妖から助けられた。皆が、必死になってくれた。黒之助も、面識のない大蜘蛛の怪も。
 その光景は、あの女に見せてもらった。抱かれ、疲れ果てたときに、座興だと。
 あの女も、力を尽くしてくれていた。
 涙が出た。涙もろくなったと思った。その涙は、女が舐め取った。
 それが、その私が、こんなところで。
「馬鹿みたいじゃない」
 皆のあの時の全てがここで無に帰す。
 頭が真っ白になって、出てきた言葉が、それだった。
「馬鹿……この、誰が馬鹿ですか!」