小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~主従(11)~

「貴方……咲夜さんのお知り合い?」
「……ちょ、直接お会いしたことは……」
 背中の暖かみに、うーんと、姫様が苦笑いを浮かべて。
 朱桜ちゃん、どう沙羅ちゃんに教えたんだろうと考える。
 結局、あれから朱桜ちゃんは火羅さんと顔を合わさなかったけど……
「ということは……あの、鬼の娘のお知り合いなのね?」
「朱桜ちゃんとは……」
 部屋で、寝転がって熱心に何かをやっていた。
 少し気になり、上から覗き込んだ。小さな角ある女の子は、絵を描いていた。
「上手だね」
 そう褒めると、女の子の顔は嬉しさで真っ赤になった。
 新しい紙を持ってくる。
 そこに座っててほしいです。
 笑って、女の子の言うとおりにした。
 涼しい、風。
 じっとしていてほしいです。また、女の子のいうとおりにした。
 うつらうつら。
 いつの間にか眠っていた。目を開けると、友人の顔が。
 はい。
 小さな女の子が、絵を、くれた。
 夕日に染まる、自分の姿。一生懸命、描いてくれた。
 大切にします。そう、言った。
「……は、はい。お友達です」
「なるほど……」
 火羅が、姫様に近づいた。
 身を竦め、姫様の背にさらにしがみつく。
 ぼうっと、葉子はその様子を見やった。
 腕を組み成り行きを見守ろうと。それは、黒之助も太郎も、同じ。
「そうよ、私は二人を襲ったわ」
 紅髪。夏の熱気に、揺れた。
 姫様は、火羅の口調に弱々しさを感じ取った。
 似つかわしくないなと、思った。
「我を忘れて、二人を襲った……事実よ。どうしようもない、事実よ。本当に、馬鹿なことをしたと思ってる。謝ったけど……簡単には、許してもらえないでしょうね」
 葉子が、瞳を細めた。淡々と語る火羅の口調には、どこか寂しさが混じっていた。
 よくあることっていえば、よくあることなんだけどね。
 だから、咲夜はすぐに許したんだろうよ。
 喧嘩になれば、命懸けはしばしばだもの。
 でも、朱桜ちゃんは……違うよねぇ。
 それにあの子は、姫様に似て、情が強い。
「沙羅さんと、いったわね」
「……え、ええ」
「貴方からも、朱桜さんに伝えてあげて。私は――火羅は、悔やんでいるって。許しを請うているって」
 沙羅は……少し、顎を引いた。
 朱桜ちゃんの話、少し違うかもしれないと思った。
 火羅は、その仕草を見ながら頭を一つ下げた。



「見ないでよ」
 火羅が言う。
 あいあいと、葉子が返事した。
「あ、でも太郎様なら」
「はいはい」
 姫様が、火羅の背を押した。ふふんと笑うと、大きな岩の後ろに、こそこそと隠れた。
 呆れたように、葉子は火羅が姿を消した岩を見やった。
 それから身体を一震いさせる。
 尾が伸び、耳が伸び、牙が伸び、爪が伸び。人の姿は煙となり、銀毛九尾の狐が現れた。
 その傍らで、赤麗も人の姿を解いていた。
 変化――
「あいつ馬鹿じゃないの? 水遊びってわかってたのに、なんでわざわざ本物を身に着けるのさ。赤麗だって、変化にしてたじゃない」
 曖昧に笑う姫様。
 火羅がどうして小袖を身に着けてきたか知っているから。
 それは……二人だけの秘密だった。
 赤麗さんはどうなのだろう。
 このこと、知っているのかな? 
「早く来ないかな、火羅様」
 のんびりと、細い獣の四肢を伸ばしている。知らないのかなと、思った。
「いやっほい!」
 堪えきれないと言うように大きく息を吸うと、銀狐が川に飛び込んだ。
 水が散る。
 咄嗟に、ついっと、姫様は一歩下がった。
 西瓜をぶつぶつ文句を言いながら水に浸けると、黒之助も人の姿を解いた。
 鴉が一羽、水面に浮いて。波の上下に身を揺らす。
 羽を広げ、気持ちよさげ。
 妖達が、潜ったり浮かんだり泳いだり。
 楽しそうであった。騒がしかった。
 心地よい、喧噪。耳に、優しく聞こえた。姫様は、日傘を差したまま河原に腰を下ろした。
 すっと、大きな紅いものが、横を通り過ぎるのが視界に入った。
「で、でか……」
 沙羅が、大口を開けた。
 ふえーっと、妖達が大口を開けた。
 巨大な、紅い、妖狼。紅蓮の炎で飾り立てられた火羅の身体は、大きな大きなものであった。
「入ってなかったの?」
 紅い狼が、赤い小さな狼に、額を近づけた。
「火羅様を待ってました!」
 尾を、振った。
「貴方は……どこまでもどこまでも……」
 そう言うと、ひたひたと小川に入っていった。
 水蒸気。煙で一瞬何も見えなくなった。しばらくして、犬掻きする楽しげな主従の姿が姫様の目に入った。
 炎は、赤々と水の中で灯火となって。
 火羅がその巨体で勢いよく泳ぐと、ぷかぷか浮かんでいた妖達や鴉が次々とひっくり返った。
「お、小川が溢れちゃいます!」
 沙羅が、大きな波が起こるのを見て、涙目に叫んだ。
「あのねぇ、んなわけないでしょうが」
 狐が、顔だけ出すとそう言った。
 それでも沙羅はあわあわと。
「おー!」
 歓声。黒之助が、口に魚をくわえていた。ひっくり返って、そのまま潜って、獲ったのだ。
 水鳥のような行動であった。
 拍手喝采
 俺も私もと、次々と黒之助の真似をし始めた。
「水が……」
 そそっと、後ろに下がる。川から離れるように移動する。
 皆、楽しそうであった。
 見ているだけで、姫様も楽しかった。
 きらきらと水が跳ねる。時折、虹が架かる。
 あそこに入れば、涼しいだろうなと思った。
「姫様」
「……あれ?」
 水遊びしているんじゃなかったんだ。
 そう思いながら、姫様は、妖狼の黒い瞳を見やった。
 狼と少女が、河原に座る。
 虫達が、盛大に鳴いていた。
「昨日……本当に火羅の所へは?」
「……行っていません」
「なら、いいんだけどよ」
「それがどうしたんですか?」
「いやぁ……」
 爪を舐めると、白い狼が歩き出す。ていっと小川に飛び込み、すぐに、小妖達と戯れ始めた。
「……行ってないよ」
 寂しげに、呟いた。
 うん、行ってない。昨日は、部屋で葉子さんとおやすみしてた。
 変なの。
 私が、信じられないの? 
 火羅さんを、信じるの?
「あー、クロさん、怒っちゃうって」
 その思いを追い払い、姫様は言った。
 妖狼が、鴉にじゃぼんと覆い被さるのが見えた。
 黒之助の姿が消えた。
 別の場所から浮かびあがった鴉は……凄い目つきで、嘲る妖狼を睨み付けた。
「涼しそうだなぁ……」
 太郎さんに言ったように、足下を浸す。
 それだけでも、随分と違う気がする。
 火羅には、古寺でああ言ったけれど……今日は、本当に暑い日だった。
 照り付けるうだるような夏の日差しは、腹立たしさすら覚えるほどで。
 日傘を差していても、肌がひりひりとした。
 熱風が、肌を焦がしていくのだ。
「そうだね、浅いところなら」
 口元に微笑みを浮かべながら、姫様が小川に近づいた。
 皆と、少し離れたところに、こっそりと移動した。
 気配を、消して。
 すっと目を閉じ、心を閉ざす。世界と、一体となる。
 そうなれば、誰にも気付かれることはない。
 無――
 そこにいるが、そこにいない。
 そうやって、姫様は夜、葉子と自分の二人の部屋から、抜け出した。
 最初は、無意識に。次第に、意識して。
「うーん、心配されるのは……嫌だし」
 言い訳をするように、独り言。
 心配をかけさせるのが、姫様は嫌だった。
 自分を大切にする妖達は、時に、自分のために心を痛める。
 それに。
 火羅に、泳げないことが知られるのは、もっと嫌だった。
 大きく、息を吸い込む。
 深い、水の色。光と一体となり、宝石のようであった。
 自分の顔が、ゆらめきながら映る。
「気持ちよさそう」
 そう言って、裾を上げ、草履を脱ぐと、素足をつける。
 足の裏を、冷たさがくすぐる。
 足首まで、水に浸した。
「あれ?」
 流れがあった。急であった。
「あれれ?」
 さぁーっと、血の気が引いた。浅いのは、目の前だけ。
 少しの距離で……深い、淀み。
 気が付かなかった。
「私は……」
 足が、絡みとられた。やっぱり、水は嫌いだと思った。
 身体が、固まっていた。
 水が、全身を呑み込んだ。
 大きな泡が、口から漏れた。