あやかし姫~主従(11)~
「貴方……咲夜さんのお知り合い?」
「……ちょ、直接お会いしたことは……」
背中の暖かみに、うーんと、姫様が苦笑いを浮かべて。
朱桜ちゃん、どう沙羅ちゃんに教えたんだろうと考える。
結局、あれから朱桜ちゃんは火羅さんと顔を合わさなかったけど……
「ということは……あの、鬼の娘のお知り合いなのね?」
「朱桜ちゃんとは……」
部屋で、寝転がって熱心に何かをやっていた。
少し気になり、上から覗き込んだ。小さな角ある女の子は、絵を描いていた。
「上手だね」
そう褒めると、女の子の顔は嬉しさで真っ赤になった。
新しい紙を持ってくる。
そこに座っててほしいです。
笑って、女の子の言うとおりにした。
涼しい、風。
じっとしていてほしいです。また、女の子のいうとおりにした。
うつらうつら。
いつの間にか眠っていた。目を開けると、友人の顔が。
はい。
小さな女の子が、絵を、くれた。
夕日に染まる、自分の姿。一生懸命、描いてくれた。
大切にします。そう、言った。
「……は、はい。お友達です」
「なるほど……」
火羅が、姫様に近づいた。
身を竦め、姫様の背にさらにしがみつく。
ぼうっと、葉子はその様子を見やった。
腕を組み成り行きを見守ろうと。それは、黒之助も太郎も、同じ。
「そうよ、私は二人を襲ったわ」
紅髪。夏の熱気に、揺れた。
姫様は、火羅の口調に弱々しさを感じ取った。
似つかわしくないなと、思った。
「我を忘れて、二人を襲った……事実よ。どうしようもない、事実よ。本当に、馬鹿なことをしたと思ってる。謝ったけど……簡単には、許してもらえないでしょうね」
葉子が、瞳を細めた。淡々と語る火羅の口調には、どこか寂しさが混じっていた。
よくあることっていえば、よくあることなんだけどね。
だから、咲夜はすぐに許したんだろうよ。
喧嘩になれば、命懸けはしばしばだもの。
でも、朱桜ちゃんは……違うよねぇ。
それにあの子は、姫様に似て、情が強い。
「沙羅さんと、いったわね」
「……え、ええ」
「貴方からも、朱桜さんに伝えてあげて。私は――火羅は、悔やんでいるって。許しを請うているって」
沙羅は……少し、顎を引いた。
朱桜ちゃんの話、少し違うかもしれないと思った。
火羅は、その仕草を見ながら頭を一つ下げた。
「見ないでよ」
火羅が言う。
あいあいと、葉子が返事した。
「あ、でも太郎様なら」
「はいはい」
姫様が、火羅の背を押した。ふふんと笑うと、大きな岩の後ろに、こそこそと隠れた。
呆れたように、葉子は火羅が姿を消した岩を見やった。
それから身体を一震いさせる。
尾が伸び、耳が伸び、牙が伸び、爪が伸び。人の姿は煙となり、銀毛九尾の狐が現れた。
その傍らで、赤麗も人の姿を解いていた。
変化――
「あいつ馬鹿じゃないの? 水遊びってわかってたのに、なんでわざわざ本物を身に着けるのさ。赤麗だって、変化にしてたじゃない」
曖昧に笑う姫様。
火羅がどうして小袖を身に着けてきたか知っているから。
それは……二人だけの秘密だった。
赤麗さんはどうなのだろう。
このこと、知っているのかな?
「早く来ないかな、火羅様」
のんびりと、細い獣の四肢を伸ばしている。知らないのかなと、思った。
「いやっほい!」
堪えきれないと言うように大きく息を吸うと、銀狐が川に飛び込んだ。
水が散る。
咄嗟に、ついっと、姫様は一歩下がった。
西瓜をぶつぶつ文句を言いながら水に浸けると、黒之助も人の姿を解いた。
鴉が一羽、水面に浮いて。波の上下に身を揺らす。
羽を広げ、気持ちよさげ。
妖達が、潜ったり浮かんだり泳いだり。
楽しそうであった。騒がしかった。
心地よい、喧噪。耳に、優しく聞こえた。姫様は、日傘を差したまま河原に腰を下ろした。
すっと、大きな紅いものが、横を通り過ぎるのが視界に入った。
「で、でか……」
沙羅が、大口を開けた。
ふえーっと、妖達が大口を開けた。
巨大な、紅い、妖狼。紅蓮の炎で飾り立てられた火羅の身体は、大きな大きなものであった。
「入ってなかったの?」
紅い狼が、赤い小さな狼に、額を近づけた。
「火羅様を待ってました!」
尾を、振った。
「貴方は……どこまでもどこまでも……」
そう言うと、ひたひたと小川に入っていった。
水蒸気。煙で一瞬何も見えなくなった。しばらくして、犬掻きする楽しげな主従の姿が姫様の目に入った。
炎は、赤々と水の中で灯火となって。
火羅がその巨体で勢いよく泳ぐと、ぷかぷか浮かんでいた妖達や鴉が次々とひっくり返った。
「お、小川が溢れちゃいます!」
沙羅が、大きな波が起こるのを見て、涙目に叫んだ。
「あのねぇ、んなわけないでしょうが」
狐が、顔だけ出すとそう言った。
それでも沙羅はあわあわと。
「おー!」
歓声。黒之助が、口に魚をくわえていた。ひっくり返って、そのまま潜って、獲ったのだ。
水鳥のような行動であった。
拍手喝采。
俺も私もと、次々と黒之助の真似をし始めた。
「水が……」
そそっと、後ろに下がる。川から離れるように移動する。
皆、楽しそうであった。
見ているだけで、姫様も楽しかった。
きらきらと水が跳ねる。時折、虹が架かる。
あそこに入れば、涼しいだろうなと思った。
「姫様」
「……あれ?」
水遊びしているんじゃなかったんだ。
そう思いながら、姫様は、妖狼の黒い瞳を見やった。
狼と少女が、河原に座る。
虫達が、盛大に鳴いていた。
「昨日……本当に火羅の所へは?」
「……行っていません」
「なら、いいんだけどよ」
「それがどうしたんですか?」
「いやぁ……」
爪を舐めると、白い狼が歩き出す。ていっと小川に飛び込み、すぐに、小妖達と戯れ始めた。
「……行ってないよ」
寂しげに、呟いた。
うん、行ってない。昨日は、部屋で葉子さんとおやすみしてた。
変なの。
私が、信じられないの?
火羅さんを、信じるの?
「あー、クロさん、怒っちゃうって」
その思いを追い払い、姫様は言った。
妖狼が、鴉にじゃぼんと覆い被さるのが見えた。
黒之助の姿が消えた。
別の場所から浮かびあがった鴉は……凄い目つきで、嘲る妖狼を睨み付けた。
「涼しそうだなぁ……」
太郎さんに言ったように、足下を浸す。
それだけでも、随分と違う気がする。
火羅には、古寺でああ言ったけれど……今日は、本当に暑い日だった。
照り付けるうだるような夏の日差しは、腹立たしさすら覚えるほどで。
日傘を差していても、肌がひりひりとした。
熱風が、肌を焦がしていくのだ。
「そうだね、浅いところなら」
口元に微笑みを浮かべながら、姫様が小川に近づいた。
皆と、少し離れたところに、こっそりと移動した。
気配を、消して。
すっと目を閉じ、心を閉ざす。世界と、一体となる。
そうなれば、誰にも気付かれることはない。
無――
そこにいるが、そこにいない。
そうやって、姫様は夜、葉子と自分の二人の部屋から、抜け出した。
最初は、無意識に。次第に、意識して。
「うーん、心配されるのは……嫌だし」
言い訳をするように、独り言。
心配をかけさせるのが、姫様は嫌だった。
自分を大切にする妖達は、時に、自分のために心を痛める。
それに。
火羅に、泳げないことが知られるのは、もっと嫌だった。
大きく、息を吸い込む。
深い、水の色。光と一体となり、宝石のようであった。
自分の顔が、ゆらめきながら映る。
「気持ちよさそう」
そう言って、裾を上げ、草履を脱ぐと、素足をつける。
足の裏を、冷たさがくすぐる。
足首まで、水に浸した。
「あれ?」
流れがあった。急であった。
「あれれ?」
さぁーっと、血の気が引いた。浅いのは、目の前だけ。
少しの距離で……深い、淀み。
気が付かなかった。
「私は……」
足が、絡みとられた。やっぱり、水は嫌いだと思った。
身体が、固まっていた。
水が、全身を呑み込んだ。
大きな泡が、口から漏れた。
「……ちょ、直接お会いしたことは……」
背中の暖かみに、うーんと、姫様が苦笑いを浮かべて。
朱桜ちゃん、どう沙羅ちゃんに教えたんだろうと考える。
結局、あれから朱桜ちゃんは火羅さんと顔を合わさなかったけど……
「ということは……あの、鬼の娘のお知り合いなのね?」
「朱桜ちゃんとは……」
部屋で、寝転がって熱心に何かをやっていた。
少し気になり、上から覗き込んだ。小さな角ある女の子は、絵を描いていた。
「上手だね」
そう褒めると、女の子の顔は嬉しさで真っ赤になった。
新しい紙を持ってくる。
そこに座っててほしいです。
笑って、女の子の言うとおりにした。
涼しい、風。
じっとしていてほしいです。また、女の子のいうとおりにした。
うつらうつら。
いつの間にか眠っていた。目を開けると、友人の顔が。
はい。
小さな女の子が、絵を、くれた。
夕日に染まる、自分の姿。一生懸命、描いてくれた。
大切にします。そう、言った。
「……は、はい。お友達です」
「なるほど……」
火羅が、姫様に近づいた。
身を竦め、姫様の背にさらにしがみつく。
ぼうっと、葉子はその様子を見やった。
腕を組み成り行きを見守ろうと。それは、黒之助も太郎も、同じ。
「そうよ、私は二人を襲ったわ」
紅髪。夏の熱気に、揺れた。
姫様は、火羅の口調に弱々しさを感じ取った。
似つかわしくないなと、思った。
「我を忘れて、二人を襲った……事実よ。どうしようもない、事実よ。本当に、馬鹿なことをしたと思ってる。謝ったけど……簡単には、許してもらえないでしょうね」
葉子が、瞳を細めた。淡々と語る火羅の口調には、どこか寂しさが混じっていた。
よくあることっていえば、よくあることなんだけどね。
だから、咲夜はすぐに許したんだろうよ。
喧嘩になれば、命懸けはしばしばだもの。
でも、朱桜ちゃんは……違うよねぇ。
それにあの子は、姫様に似て、情が強い。
「沙羅さんと、いったわね」
「……え、ええ」
「貴方からも、朱桜さんに伝えてあげて。私は――火羅は、悔やんでいるって。許しを請うているって」
沙羅は……少し、顎を引いた。
朱桜ちゃんの話、少し違うかもしれないと思った。
火羅は、その仕草を見ながら頭を一つ下げた。
「見ないでよ」
火羅が言う。
あいあいと、葉子が返事した。
「あ、でも太郎様なら」
「はいはい」
姫様が、火羅の背を押した。ふふんと笑うと、大きな岩の後ろに、こそこそと隠れた。
呆れたように、葉子は火羅が姿を消した岩を見やった。
それから身体を一震いさせる。
尾が伸び、耳が伸び、牙が伸び、爪が伸び。人の姿は煙となり、銀毛九尾の狐が現れた。
その傍らで、赤麗も人の姿を解いていた。
変化――
「あいつ馬鹿じゃないの? 水遊びってわかってたのに、なんでわざわざ本物を身に着けるのさ。赤麗だって、変化にしてたじゃない」
曖昧に笑う姫様。
火羅がどうして小袖を身に着けてきたか知っているから。
それは……二人だけの秘密だった。
赤麗さんはどうなのだろう。
このこと、知っているのかな?
「早く来ないかな、火羅様」
のんびりと、細い獣の四肢を伸ばしている。知らないのかなと、思った。
「いやっほい!」
堪えきれないと言うように大きく息を吸うと、銀狐が川に飛び込んだ。
水が散る。
咄嗟に、ついっと、姫様は一歩下がった。
西瓜をぶつぶつ文句を言いながら水に浸けると、黒之助も人の姿を解いた。
鴉が一羽、水面に浮いて。波の上下に身を揺らす。
羽を広げ、気持ちよさげ。
妖達が、潜ったり浮かんだり泳いだり。
楽しそうであった。騒がしかった。
心地よい、喧噪。耳に、優しく聞こえた。姫様は、日傘を差したまま河原に腰を下ろした。
すっと、大きな紅いものが、横を通り過ぎるのが視界に入った。
「で、でか……」
沙羅が、大口を開けた。
ふえーっと、妖達が大口を開けた。
巨大な、紅い、妖狼。紅蓮の炎で飾り立てられた火羅の身体は、大きな大きなものであった。
「入ってなかったの?」
紅い狼が、赤い小さな狼に、額を近づけた。
「火羅様を待ってました!」
尾を、振った。
「貴方は……どこまでもどこまでも……」
そう言うと、ひたひたと小川に入っていった。
水蒸気。煙で一瞬何も見えなくなった。しばらくして、犬掻きする楽しげな主従の姿が姫様の目に入った。
炎は、赤々と水の中で灯火となって。
火羅がその巨体で勢いよく泳ぐと、ぷかぷか浮かんでいた妖達や鴉が次々とひっくり返った。
「お、小川が溢れちゃいます!」
沙羅が、大きな波が起こるのを見て、涙目に叫んだ。
「あのねぇ、んなわけないでしょうが」
狐が、顔だけ出すとそう言った。
それでも沙羅はあわあわと。
「おー!」
歓声。黒之助が、口に魚をくわえていた。ひっくり返って、そのまま潜って、獲ったのだ。
水鳥のような行動であった。
拍手喝采。
俺も私もと、次々と黒之助の真似をし始めた。
「水が……」
そそっと、後ろに下がる。川から離れるように移動する。
皆、楽しそうであった。
見ているだけで、姫様も楽しかった。
きらきらと水が跳ねる。時折、虹が架かる。
あそこに入れば、涼しいだろうなと思った。
「姫様」
「……あれ?」
水遊びしているんじゃなかったんだ。
そう思いながら、姫様は、妖狼の黒い瞳を見やった。
狼と少女が、河原に座る。
虫達が、盛大に鳴いていた。
「昨日……本当に火羅の所へは?」
「……行っていません」
「なら、いいんだけどよ」
「それがどうしたんですか?」
「いやぁ……」
爪を舐めると、白い狼が歩き出す。ていっと小川に飛び込み、すぐに、小妖達と戯れ始めた。
「……行ってないよ」
寂しげに、呟いた。
うん、行ってない。昨日は、部屋で葉子さんとおやすみしてた。
変なの。
私が、信じられないの?
火羅さんを、信じるの?
「あー、クロさん、怒っちゃうって」
その思いを追い払い、姫様は言った。
妖狼が、鴉にじゃぼんと覆い被さるのが見えた。
黒之助の姿が消えた。
別の場所から浮かびあがった鴉は……凄い目つきで、嘲る妖狼を睨み付けた。
「涼しそうだなぁ……」
太郎さんに言ったように、足下を浸す。
それだけでも、随分と違う気がする。
火羅には、古寺でああ言ったけれど……今日は、本当に暑い日だった。
照り付けるうだるような夏の日差しは、腹立たしさすら覚えるほどで。
日傘を差していても、肌がひりひりとした。
熱風が、肌を焦がしていくのだ。
「そうだね、浅いところなら」
口元に微笑みを浮かべながら、姫様が小川に近づいた。
皆と、少し離れたところに、こっそりと移動した。
気配を、消して。
すっと目を閉じ、心を閉ざす。世界と、一体となる。
そうなれば、誰にも気付かれることはない。
無――
そこにいるが、そこにいない。
そうやって、姫様は夜、葉子と自分の二人の部屋から、抜け出した。
最初は、無意識に。次第に、意識して。
「うーん、心配されるのは……嫌だし」
言い訳をするように、独り言。
心配をかけさせるのが、姫様は嫌だった。
自分を大切にする妖達は、時に、自分のために心を痛める。
それに。
火羅に、泳げないことが知られるのは、もっと嫌だった。
大きく、息を吸い込む。
深い、水の色。光と一体となり、宝石のようであった。
自分の顔が、ゆらめきながら映る。
「気持ちよさそう」
そう言って、裾を上げ、草履を脱ぐと、素足をつける。
足の裏を、冷たさがくすぐる。
足首まで、水に浸した。
「あれ?」
流れがあった。急であった。
「あれれ?」
さぁーっと、血の気が引いた。浅いのは、目の前だけ。
少しの距離で……深い、淀み。
気が付かなかった。
「私は……」
足が、絡みとられた。やっぱり、水は嫌いだと思った。
身体が、固まっていた。
水が、全身を呑み込んだ。
大きな泡が、口から漏れた。