あやかし姫~そのお出かけの日(7)~
「休もう」
太郎がそう言うと、姫様は眉を寄せ、少し口を尖らせながら、
「またですか」
と答えた。
「もう少しなのに」
「休んだ方が、いい」
「うーん」
確かに、そろそろ休みたいなと姫様は思っていた。
随分と歩いた気がする。
ここまで休み休みしてきたが、足が痛い。
でも、とも思う。
人との行き交いが多くなっている。
もう、街の匂いがし始めていた。目的地は、すぐそこなのだ。
街が近づくにつれ、早く行ってみたいという気持ちが強くなっていた。太郎さんが隣にいる。太郎さんと一緒に見て回りたい。
そう、思い始めていた。
ゆっくりするのは、街でもいい。街で、休めばいい。
「あ」
妖狼はせかせかと道端に歩みをそらした。
姫様は、太郎の背を懸命に追いかけた。
追いついたときには、籠を、茶けた草むらに下ろしていた。
「早いよ。それに、勝手に」
抗議をし、文句を言う。姫様は、少し息が切れていた。
「足」
「足?」
仕方なく腰を下ろした姫様の前に太郎は回ると、そっと草履を脱がした。
目を丸くする。
足の裏に触れられた。白い足袋を脱がされた。
姫様は妖狼の行いをきょとんと見ていた。
二人っきり。
妖の目の、葉子や黒之助の目の届かない場所に、男と女。
まさか――
姫様は叫びそうになるのをこらえながら――思いっきり妖狼を蹴飛ばした。
「いっつ!」
妖がのけぞる。
非力な姫様のどこにこんな力がというぐらい、よい蹴りだった。
「た、太、太郎さん、こ、こんな人目のある場所で、何考えてるんですか!?」
堪えていたものが、噴き出した。
「……揺れてる」
顎を蹴られ、意識が飛びかけ、少しふらとしていた。
ん、と頭を振る。元来頑丈な妖を怯ませたのだから、今の姫様の蹴りは相当なものだ。
太郎は、何で蹴られたと首を傾げた。
「い、いいですか。そ、そういうことは、もっと、こう、もっと、もっとですねこう、趣の、わ、わかります? いえ、その、」
姫様の声が小さくなっていく。
蚊の鳴くような細い声を聞きながら、よいしょと太郎は姿勢を直した。
「さっきから痛そうにしてるから、足揉もうと思ったんだけど」
「……揉む?」
足の裏。むにゅと押される。
「う、」
せっせと太郎が足を揉み始めた。
これはこれで、少し恥ずかしい。人目はあるのだ。
だが、己が勘違いをしていたことはわかった。
「……ごめんね、蹴っちゃって」
ついでに、色々と、恥ずかしい。
「何で俺蹴られた?」
「あ、もう少し下です、う、いい、そこいいです、くぅ」
問いに答えず、代わりに指示を出して。
太郎は適当に揉んでいるだけだった。つぼなど、関係ない。
しかし、力加減は絶妙だった。
太郎さんが力を入れると、弱い私の身体は、あっという間に壊れるだろうなと、姫様は思った。
強く抱き締められたら、それだけで私は息絶えてしまうかも。
だから、優しくしてくれている。出来るだけ、優しく。
黒之丞さんはどうしているんだろうと、少し気になった。
あの二人も、自分達と同じ、人と妖の関係だ。
私は少し怪しいけど。
「あぁ……いい」
紗の下で、姫様の息がゆるゆると吐かれた。
あっちこっちと指図する。足の裏だけでなくふくらはぎも。さすがに、太腿まで手を伸ばそうとはしなかった。
妖の身体を揉むことはあっても、妖に揉まれることはなかったなと姫様は思った。
そんなに疲れることもなかった。
大掃除の時も、疲れ果てた妖達のこりをほぐしていた。
こう、たくさん歩くなんてこと、ないし。
ああ、違う。自分が疲れているときは、周りの皆も疲れていたからだ。
ぽけーとしながら姫様は、
「太郎さん、上手ですね」
そう、言った。
太郎が照れながらにこりとする。尾っぽを振りたそうにしていると、姫様は思った。
嬉しいとき、妖狼は尾を振る。
太郎だけかと思ったが、火羅もそうだった。
絵を褒めると、尾をぱたぱたとちぎれそうなぐらい振ってくれた。
口では、当たり前よ、何て言っていたが。
よほど嬉しかったのか、しばらく姫様を描き続けていた。
仲良くしてくれてるかな? 葉子さんは火羅さんのこと気に入ってくれてるみたいだけど。
よしと、太郎が足袋を履かせる。それぐらい自分がと思ったが、さっさと草履までやってしまった。
「はぁ、よかった……あの、あのね、私、そんなに疲れてるように見えた?」
「疲れてるのに、急いてるように見えた。人が多くなってからは、特に。ちょっと心配になってよ」
籠を背負うた。姫様は、すぐに立とうとはしなかった。
「まめ、出来てるな」
足の裏に硬いところがあった。親指と人差し指の間にも。
「潰れたらやだな」
潰れて、皮が剥けたら、歩きにくいだろう。
「そんときは、背負ってやるって」
からからと笑った。
「お任せします」
「あれ? 自分の足で」
「……人の姿で背負うて下さいな」
姫様もからからと笑ってみせる。
太郎が腕組みし、真剣に考えるのを見やり、またからからと笑う。
「人の姿ならいいのか?」
「ゆっくりでしょう?」
なるほどと頷いていた。
冬の陽が、ずいぶんと高くなっていた。
「あ、そうだ。どうして俺蹴られた?」
蒸し返された。
姫様は答えなかった。答えられなかった。
こ、こんなところで肌を逢わそうなんて! と思ったなどと、答えられるわけがなかった。
どうかしている。
きっと火羅のせいだ。そういう話は、火羅とならわーきゃーわーきゃー騒ぎながら出来た。
葉子とは、したことがなかった。
頭領を好いていたと教えてくれたことがあった。それぐらいだろうか
「いきなりだったから、びっくりして」
「そっか、悪かったな」
市女笠をぺたぺたと触る。これ、ちゃんと顔隠れてるよねと。
隠れていても、太郎さんなら見透かされるような気がするけど。
今日は二人っきりだ。
そういう機会はたくさん……あう。
「太郎さん、太郎さん」
「?」
「私のこと、好き?」
「? うん」
姫様は、顔を背けた。
真っ直ぐだと思った。
真っ直ぐ過ぎるほど真っ直ぐだと。
「そのね……さっきね……」
「?」
「や、やっぱり、いい!」
「?」
街が、目の前、目と鼻の先。
既に、街の気配を感じることが出来る。
広い場所に、たくさんの存在。そこには、人も妖もあった。
知覚。
少しぼやけている。知らない場所だからだと思った。
「私も好き。大好き」
太郎が顔を背ける。
あ、同じだと、姫様は思った。
太郎がそう言うと、姫様は眉を寄せ、少し口を尖らせながら、
「またですか」
と答えた。
「もう少しなのに」
「休んだ方が、いい」
「うーん」
確かに、そろそろ休みたいなと姫様は思っていた。
随分と歩いた気がする。
ここまで休み休みしてきたが、足が痛い。
でも、とも思う。
人との行き交いが多くなっている。
もう、街の匂いがし始めていた。目的地は、すぐそこなのだ。
街が近づくにつれ、早く行ってみたいという気持ちが強くなっていた。太郎さんが隣にいる。太郎さんと一緒に見て回りたい。
そう、思い始めていた。
ゆっくりするのは、街でもいい。街で、休めばいい。
「あ」
妖狼はせかせかと道端に歩みをそらした。
姫様は、太郎の背を懸命に追いかけた。
追いついたときには、籠を、茶けた草むらに下ろしていた。
「早いよ。それに、勝手に」
抗議をし、文句を言う。姫様は、少し息が切れていた。
「足」
「足?」
仕方なく腰を下ろした姫様の前に太郎は回ると、そっと草履を脱がした。
目を丸くする。
足の裏に触れられた。白い足袋を脱がされた。
姫様は妖狼の行いをきょとんと見ていた。
二人っきり。
妖の目の、葉子や黒之助の目の届かない場所に、男と女。
まさか――
姫様は叫びそうになるのをこらえながら――思いっきり妖狼を蹴飛ばした。
「いっつ!」
妖がのけぞる。
非力な姫様のどこにこんな力がというぐらい、よい蹴りだった。
「た、太、太郎さん、こ、こんな人目のある場所で、何考えてるんですか!?」
堪えていたものが、噴き出した。
「……揺れてる」
顎を蹴られ、意識が飛びかけ、少しふらとしていた。
ん、と頭を振る。元来頑丈な妖を怯ませたのだから、今の姫様の蹴りは相当なものだ。
太郎は、何で蹴られたと首を傾げた。
「い、いいですか。そ、そういうことは、もっと、こう、もっと、もっとですねこう、趣の、わ、わかります? いえ、その、」
姫様の声が小さくなっていく。
蚊の鳴くような細い声を聞きながら、よいしょと太郎は姿勢を直した。
「さっきから痛そうにしてるから、足揉もうと思ったんだけど」
「……揉む?」
足の裏。むにゅと押される。
「う、」
せっせと太郎が足を揉み始めた。
これはこれで、少し恥ずかしい。人目はあるのだ。
だが、己が勘違いをしていたことはわかった。
「……ごめんね、蹴っちゃって」
ついでに、色々と、恥ずかしい。
「何で俺蹴られた?」
「あ、もう少し下です、う、いい、そこいいです、くぅ」
問いに答えず、代わりに指示を出して。
太郎は適当に揉んでいるだけだった。つぼなど、関係ない。
しかし、力加減は絶妙だった。
太郎さんが力を入れると、弱い私の身体は、あっという間に壊れるだろうなと、姫様は思った。
強く抱き締められたら、それだけで私は息絶えてしまうかも。
だから、優しくしてくれている。出来るだけ、優しく。
黒之丞さんはどうしているんだろうと、少し気になった。
あの二人も、自分達と同じ、人と妖の関係だ。
私は少し怪しいけど。
「あぁ……いい」
紗の下で、姫様の息がゆるゆると吐かれた。
あっちこっちと指図する。足の裏だけでなくふくらはぎも。さすがに、太腿まで手を伸ばそうとはしなかった。
妖の身体を揉むことはあっても、妖に揉まれることはなかったなと姫様は思った。
そんなに疲れることもなかった。
大掃除の時も、疲れ果てた妖達のこりをほぐしていた。
こう、たくさん歩くなんてこと、ないし。
ああ、違う。自分が疲れているときは、周りの皆も疲れていたからだ。
ぽけーとしながら姫様は、
「太郎さん、上手ですね」
そう、言った。
太郎が照れながらにこりとする。尾っぽを振りたそうにしていると、姫様は思った。
嬉しいとき、妖狼は尾を振る。
太郎だけかと思ったが、火羅もそうだった。
絵を褒めると、尾をぱたぱたとちぎれそうなぐらい振ってくれた。
口では、当たり前よ、何て言っていたが。
よほど嬉しかったのか、しばらく姫様を描き続けていた。
仲良くしてくれてるかな? 葉子さんは火羅さんのこと気に入ってくれてるみたいだけど。
よしと、太郎が足袋を履かせる。それぐらい自分がと思ったが、さっさと草履までやってしまった。
「はぁ、よかった……あの、あのね、私、そんなに疲れてるように見えた?」
「疲れてるのに、急いてるように見えた。人が多くなってからは、特に。ちょっと心配になってよ」
籠を背負うた。姫様は、すぐに立とうとはしなかった。
「まめ、出来てるな」
足の裏に硬いところがあった。親指と人差し指の間にも。
「潰れたらやだな」
潰れて、皮が剥けたら、歩きにくいだろう。
「そんときは、背負ってやるって」
からからと笑った。
「お任せします」
「あれ? 自分の足で」
「……人の姿で背負うて下さいな」
姫様もからからと笑ってみせる。
太郎が腕組みし、真剣に考えるのを見やり、またからからと笑う。
「人の姿ならいいのか?」
「ゆっくりでしょう?」
なるほどと頷いていた。
冬の陽が、ずいぶんと高くなっていた。
「あ、そうだ。どうして俺蹴られた?」
蒸し返された。
姫様は答えなかった。答えられなかった。
こ、こんなところで肌を逢わそうなんて! と思ったなどと、答えられるわけがなかった。
どうかしている。
きっと火羅のせいだ。そういう話は、火羅とならわーきゃーわーきゃー騒ぎながら出来た。
葉子とは、したことがなかった。
頭領を好いていたと教えてくれたことがあった。それぐらいだろうか
「いきなりだったから、びっくりして」
「そっか、悪かったな」
市女笠をぺたぺたと触る。これ、ちゃんと顔隠れてるよねと。
隠れていても、太郎さんなら見透かされるような気がするけど。
今日は二人っきりだ。
そういう機会はたくさん……あう。
「太郎さん、太郎さん」
「?」
「私のこと、好き?」
「? うん」
姫様は、顔を背けた。
真っ直ぐだと思った。
真っ直ぐ過ぎるほど真っ直ぐだと。
「そのね……さっきね……」
「?」
「や、やっぱり、いい!」
「?」
街が、目の前、目と鼻の先。
既に、街の気配を感じることが出来る。
広い場所に、たくさんの存在。そこには、人も妖もあった。
知覚。
少しぼやけている。知らない場所だからだと思った。
「私も好き。大好き」
太郎が顔を背ける。
あ、同じだと、姫様は思った。