小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~そのお出かけの日(7)~

「休もう」
 太郎がそう言うと、姫様は眉を寄せ、少し口を尖らせながら、
「またですか」
 と答えた。
「もう少しなのに」
「休んだ方が、いい」
「うーん」
 確かに、そろそろ休みたいなと姫様は思っていた。
 随分と歩いた気がする。
 ここまで休み休みしてきたが、足が痛い。
 でも、とも思う。
 人との行き交いが多くなっている。
 もう、街の匂いがし始めていた。目的地は、すぐそこなのだ。
 街が近づくにつれ、早く行ってみたいという気持ちが強くなっていた。太郎さんが隣にいる。太郎さんと一緒に見て回りたい。
 そう、思い始めていた。
 ゆっくりするのは、街でもいい。街で、休めばいい。
「あ」
 妖狼はせかせかと道端に歩みをそらした。
 姫様は、太郎の背を懸命に追いかけた。
 追いついたときには、籠を、茶けた草むらに下ろしていた。
「早いよ。それに、勝手に」
 抗議をし、文句を言う。姫様は、少し息が切れていた。
「足」
「足?」
 仕方なく腰を下ろした姫様の前に太郎は回ると、そっと草履を脱がした。
 目を丸くする。
 足の裏に触れられた。白い足袋を脱がされた。
 姫様は妖狼の行いをきょとんと見ていた。
 二人っきり。
 妖の目の、葉子や黒之助の目の届かない場所に、男と女。
 まさか――
 姫様は叫びそうになるのをこらえながら――思いっきり妖狼を蹴飛ばした。
「いっつ!」
 妖がのけぞる。
 非力な姫様のどこにこんな力がというぐらい、よい蹴りだった。
「た、太、太郎さん、こ、こんな人目のある場所で、何考えてるんですか!?」
 堪えていたものが、噴き出した。
「……揺れてる」
 顎を蹴られ、意識が飛びかけ、少しふらとしていた。
 ん、と頭を振る。元来頑丈な妖を怯ませたのだから、今の姫様の蹴りは相当なものだ。
 太郎は、何で蹴られたと首を傾げた。
「い、いいですか。そ、そういうことは、もっと、こう、もっと、もっとですねこう、趣の、わ、わかります? いえ、その、」
 姫様の声が小さくなっていく。
 蚊の鳴くような細い声を聞きながら、よいしょと太郎は姿勢を直した。
「さっきから痛そうにしてるから、足揉もうと思ったんだけど」
「……揉む?」
 足の裏。むにゅと押される。
「う、」 
 せっせと太郎が足を揉み始めた。
 これはこれで、少し恥ずかしい。人目はあるのだ。
 だが、己が勘違いをしていたことはわかった。
「……ごめんね、蹴っちゃって」
 ついでに、色々と、恥ずかしい。
「何で俺蹴られた?」
「あ、もう少し下です、う、いい、そこいいです、くぅ」
 問いに答えず、代わりに指示を出して。
 太郎は適当に揉んでいるだけだった。つぼなど、関係ない。
 しかし、力加減は絶妙だった。
 太郎さんが力を入れると、弱い私の身体は、あっという間に壊れるだろうなと、姫様は思った。
 強く抱き締められたら、それだけで私は息絶えてしまうかも。
 だから、優しくしてくれている。出来るだけ、優しく。
 黒之丞さんはどうしているんだろうと、少し気になった。
 あの二人も、自分達と同じ、人と妖の関係だ。
 私は少し怪しいけど。
「あぁ……いい」
 紗の下で、姫様の息がゆるゆると吐かれた。
 あっちこっちと指図する。足の裏だけでなくふくらはぎも。さすがに、太腿まで手を伸ばそうとはしなかった。
 妖の身体を揉むことはあっても、妖に揉まれることはなかったなと姫様は思った。
 そんなに疲れることもなかった。
 大掃除の時も、疲れ果てた妖達のこりをほぐしていた。
 こう、たくさん歩くなんてこと、ないし。
 ああ、違う。自分が疲れているときは、周りの皆も疲れていたからだ。 
 ぽけーとしながら姫様は、
「太郎さん、上手ですね」
 そう、言った。
 太郎が照れながらにこりとする。尾っぽを振りたそうにしていると、姫様は思った。
 嬉しいとき、妖狼は尾を振る。
 太郎だけかと思ったが、火羅もそうだった。
 絵を褒めると、尾をぱたぱたとちぎれそうなぐらい振ってくれた。
 口では、当たり前よ、何て言っていたが。
 よほど嬉しかったのか、しばらく姫様を描き続けていた。
 仲良くしてくれてるかな? 葉子さんは火羅さんのこと気に入ってくれてるみたいだけど。
 よしと、太郎が足袋を履かせる。それぐらい自分がと思ったが、さっさと草履までやってしまった。
「はぁ、よかった……あの、あのね、私、そんなに疲れてるように見えた?」
「疲れてるのに、急いてるように見えた。人が多くなってからは、特に。ちょっと心配になってよ」
 籠を背負うた。姫様は、すぐに立とうとはしなかった。
「まめ、出来てるな」
 足の裏に硬いところがあった。親指と人差し指の間にも。
「潰れたらやだな」
 潰れて、皮が剥けたら、歩きにくいだろう。
「そんときは、背負ってやるって」
 からからと笑った。
「お任せします」
「あれ? 自分の足で」
「……人の姿で背負うて下さいな」
 姫様もからからと笑ってみせる。
 太郎が腕組みし、真剣に考えるのを見やり、またからからと笑う。
「人の姿ならいいのか?」
「ゆっくりでしょう?」
 なるほどと頷いていた。
 冬の陽が、ずいぶんと高くなっていた。
「あ、そうだ。どうして俺蹴られた?」
 蒸し返された。
 姫様は答えなかった。答えられなかった。
 こ、こんなところで肌を逢わそうなんて! と思ったなどと、答えられるわけがなかった。
 どうかしている。
 きっと火羅のせいだ。そういう話は、火羅とならわーきゃーわーきゃー騒ぎながら出来た。
 葉子とは、したことがなかった。
 頭領を好いていたと教えてくれたことがあった。それぐらいだろうか
「いきなりだったから、びっくりして」
「そっか、悪かったな」
 市女笠をぺたぺたと触る。これ、ちゃんと顔隠れてるよねと。
 隠れていても、太郎さんなら見透かされるような気がするけど。
 今日は二人っきりだ。
 そういう機会はたくさん……あう。
「太郎さん、太郎さん」
「?」
「私のこと、好き?」
「? うん」
 姫様は、顔を背けた。
 真っ直ぐだと思った。
 真っ直ぐ過ぎるほど真っ直ぐだと。
「そのね……さっきね……」
「?」
「や、やっぱり、いい!」
「?」
 街が、目の前、目と鼻の先。
 既に、街の気配を感じることが出来る。
 広い場所に、たくさんの存在。そこには、人も妖もあった。
 知覚。
 少しぼやけている。知らない場所だからだと思った。
「私も好き。大好き」
 太郎が顔を背ける。
 あ、同じだと、姫様は思った。