あやかし姫~跡目争い(16)~
流麗な指使いで彩花が部屋に結界を張った。
火羅は、ああ、二人きりで向き合うのだと思った。
「……そろそろ、この不毛な会議を終わりにしたいのだが」
「ごもっともですと、主は仰られております」
酒呑童子は、円座の一角を占める丸々とした白兎を不快げに見やった。
美麗な顔が歪み、きりきりと角が呻き、その周囲に黒い妖気が噴き上がる。
その陰気な妖気に、綱が引き寄せられ、一瞬即発の趣になった。
「やめないか、綱姫」
「ん――」
「やめよ、酒呑」
頼光と八霊が苦り切った声を出す。
綱と酒呑童子が気を静めた。
高見の見物と胡座をかくのが鞍馬の大天狗で、どうして私がここにいるのだとびくついているのが式神のお咲である。
円座を囲むこの六人で、先の乱の始末について、幾度目の話し合いを持っているところであった。
「わ、わたしだって、こんなところに好き好んで」
「あん?」
「な、何でもありません、どうぞよしなに」
お咲が、言う。
「東の鬼が言うことは、何もない」
「天狗も、しかりよ」
酒呑童子は陰鬱で、鞍馬の大天狗は多少朗らかだった。
ふむと頼光は腕を組む。
今回、被害を被ったのは東の鬼である。
天狗は、それほどでもない。なずなの一党に敗れた二匹の天狗は、鞍馬の大天狗の政敵だったはずだ。この内乱は、むしろ、好都合だったのではないだろうか。
現になずなは、まだ死んでいない。傷の手当てをされ、丁重に扱われている。
東の鬼の内乱に乗じ、大天狗は政敵を蹴落とそうとした――ありそうなことだ。
一方の首魁であった瀧夜叉という鬼の娘は、南の妖狼に裏切られ命を落としている。
南の妖狼の行方は未だ知れない。
「では、これにて――終いにしましょう」
「いいのか?」
綱が、言った。
「頼光様、それでいいのか? あの娘のことは?」
白髪白眉の翁が、目を細めた。
「構わぬ」
大天狗が、言った。
「いらぬ詮索だ、綱」
酒呑童子が、言った。
「わたしとしましては――ああ、はいはい。主も国津神は面倒だから詮索してやんないだそうです」
少し関心を示したお咲も、怪訝そうな声でそう言った。
「頼光」
「頼光殿」
「頼光様」
「……では、これで。綱姫、長引けば長引くだけ、子供達と会えなくなる」
「どうせ、嫌われている」
「子供達は、綱姫のことを慕っているよ。綱姫に好かれるにはどうすればいいのかと、私に相談するぐらいにはね」
「なんと言ったのだ?」
「母上は、頼国と相模のことを愛していると、そう言ってやった」
「……頼国と相模に会いに行く」
「これで、よしと」
火羅が、両手を何度も擦り合わせた。
「火羅さん」
寝具の上、長い黒髪を整えながら、姫様は言った。
「な、何?」
「私に言いたいことが、何かあるのでは?」
「貴方に、言いたいこと? べ、別に、何もないわよ」
「本当に?」
「ええ」
太郎も葉子も朱桜もいない。
火羅と、二人きりだ。
「火羅さんは……火羅さんは、あのとき、本当に太郎さんと、何も?」
「……何もないわよ!」
紅い瞳を覗き込む。
あのときで、火羅には通じたようだ。
それが、疑念を生む。
「息を塞いだ血を吸っただけ、ですか?」
「太郎様が死んでしまうと、そう思ったのよ」
姫様は、目を瞑った。
あのときの光景を思い出す。
火羅が、太郎の口を吸っていた。
よりにもよって、火羅が。知っているのに、見せつけるように。
傷の手当てだけではなかったと思う。
思い続けている。
だから、二人きりになった。
太郎の様子は変わっていない。
変わったのは、火羅だ。
でも、嘘はついていないような?
「指の傷……大丈夫そうですね」
朱桜と一緒に台所に立ち、指を傷だらけにして戻ってきた。
それから台所に立つことはない。朱桜が禁じたようだ。
もっぱら、朱桜が作ってくれた料理を運んでいる。
一応それで、仲良く一緒にやっているつもりなのだ。
「確かに、太郎様は、いい方よ。この私が惚れ惚れするようなね。でも、でもね、いきなり抱きしめてきたり、身体を張って庇ってくれたり、乗せてくれた背中も大きかったけど、」
「は?」
「え? ち、違う、太郎様は、そ、その、無邪気というか、子供じみているというか、だからね」
「……は?」
「だから、太郎様は、彩花さんが好きってことよ!」
姫様の身体が、熱くなった。
「太郎様は、優しくしてくれたし、命をかけてくれた。でも、それはね、貴方に頼まれたからよ。私だからじゃないわ」
「そんなことは……」
「太郎様にとって、多分私は、どうでもいいんだと思う。誰だっていいのよ。貴方に、頼まれれば」
そうなのだろうか。
人付き合い、そんなに良くないなとは、思うけど。
「貴方がいるのに、太郎様を好きになんて、なれるわけないじゃない」
火羅が、確かめるように、言った。
「そうでしょう?」
火羅は微笑んだけど、姫様は笑えなかった。
「私がいなくなったら……好きになる?」
姫様は、爪を噛んだ。
「そういう、ことですか?」
姫様は人で、火羅は妖だ。
命の長さは、違う。
覆しようのない、現実だ。
だから、自分がいなくなったら……それでもいいのかもしれない。
いいのだろうか。
いいわけがないと、どこかで思う。
「彩花さんは……いなくならない」
「いつか」
「いなくならないでよ。ずっと一緒にいてよ」
「火羅さん?」
火羅が泣いている。
本当に泣いている。
姫様は、あたふたとした。結界を描く時とはうってかわってわたわたとぎこちなく両手を動かし、泣きじゃくる妖狼を見つめた。
「……ぐず、変なこと言わないでよ、馬鹿」
えぐ、えぐと、嗚咽を漏らしている。
本当に悲しんでくれている。
気が抜けた。嬉しかった。
もういいと、思った。自分を、嫌悪した。
泣くのを、やめさせないとと、思った。
いつものように、いつも皆がしてくれたように、火羅を抱いて、頭の後ろを撫でながら、頬を寄せた。
太郎も同じようにしたのではと、ふと、思った。
「彩華?」
「さいはな?」
身を震わせながら、聞き覚えのある名を火羅は囁いた。
「彩華なの?」
火羅の腕が、姫様の身体にしっかりと絡まった。
「私を、抱くの?」
――紅い瞳が、光を失っていた。
火羅は、ああ、二人きりで向き合うのだと思った。
「……そろそろ、この不毛な会議を終わりにしたいのだが」
「ごもっともですと、主は仰られております」
酒呑童子は、円座の一角を占める丸々とした白兎を不快げに見やった。
美麗な顔が歪み、きりきりと角が呻き、その周囲に黒い妖気が噴き上がる。
その陰気な妖気に、綱が引き寄せられ、一瞬即発の趣になった。
「やめないか、綱姫」
「ん――」
「やめよ、酒呑」
頼光と八霊が苦り切った声を出す。
綱と酒呑童子が気を静めた。
高見の見物と胡座をかくのが鞍馬の大天狗で、どうして私がここにいるのだとびくついているのが式神のお咲である。
円座を囲むこの六人で、先の乱の始末について、幾度目の話し合いを持っているところであった。
「わ、わたしだって、こんなところに好き好んで」
「あん?」
「な、何でもありません、どうぞよしなに」
お咲が、言う。
「東の鬼が言うことは、何もない」
「天狗も、しかりよ」
酒呑童子は陰鬱で、鞍馬の大天狗は多少朗らかだった。
ふむと頼光は腕を組む。
今回、被害を被ったのは東の鬼である。
天狗は、それほどでもない。なずなの一党に敗れた二匹の天狗は、鞍馬の大天狗の政敵だったはずだ。この内乱は、むしろ、好都合だったのではないだろうか。
現になずなは、まだ死んでいない。傷の手当てをされ、丁重に扱われている。
東の鬼の内乱に乗じ、大天狗は政敵を蹴落とそうとした――ありそうなことだ。
一方の首魁であった瀧夜叉という鬼の娘は、南の妖狼に裏切られ命を落としている。
南の妖狼の行方は未だ知れない。
「では、これにて――終いにしましょう」
「いいのか?」
綱が、言った。
「頼光様、それでいいのか? あの娘のことは?」
白髪白眉の翁が、目を細めた。
「構わぬ」
大天狗が、言った。
「いらぬ詮索だ、綱」
酒呑童子が、言った。
「わたしとしましては――ああ、はいはい。主も国津神は面倒だから詮索してやんないだそうです」
少し関心を示したお咲も、怪訝そうな声でそう言った。
「頼光」
「頼光殿」
「頼光様」
「……では、これで。綱姫、長引けば長引くだけ、子供達と会えなくなる」
「どうせ、嫌われている」
「子供達は、綱姫のことを慕っているよ。綱姫に好かれるにはどうすればいいのかと、私に相談するぐらいにはね」
「なんと言ったのだ?」
「母上は、頼国と相模のことを愛していると、そう言ってやった」
「……頼国と相模に会いに行く」
「これで、よしと」
火羅が、両手を何度も擦り合わせた。
「火羅さん」
寝具の上、長い黒髪を整えながら、姫様は言った。
「な、何?」
「私に言いたいことが、何かあるのでは?」
「貴方に、言いたいこと? べ、別に、何もないわよ」
「本当に?」
「ええ」
太郎も葉子も朱桜もいない。
火羅と、二人きりだ。
「火羅さんは……火羅さんは、あのとき、本当に太郎さんと、何も?」
「……何もないわよ!」
紅い瞳を覗き込む。
あのときで、火羅には通じたようだ。
それが、疑念を生む。
「息を塞いだ血を吸っただけ、ですか?」
「太郎様が死んでしまうと、そう思ったのよ」
姫様は、目を瞑った。
あのときの光景を思い出す。
火羅が、太郎の口を吸っていた。
よりにもよって、火羅が。知っているのに、見せつけるように。
傷の手当てだけではなかったと思う。
思い続けている。
だから、二人きりになった。
太郎の様子は変わっていない。
変わったのは、火羅だ。
でも、嘘はついていないような?
「指の傷……大丈夫そうですね」
朱桜と一緒に台所に立ち、指を傷だらけにして戻ってきた。
それから台所に立つことはない。朱桜が禁じたようだ。
もっぱら、朱桜が作ってくれた料理を運んでいる。
一応それで、仲良く一緒にやっているつもりなのだ。
「確かに、太郎様は、いい方よ。この私が惚れ惚れするようなね。でも、でもね、いきなり抱きしめてきたり、身体を張って庇ってくれたり、乗せてくれた背中も大きかったけど、」
「は?」
「え? ち、違う、太郎様は、そ、その、無邪気というか、子供じみているというか、だからね」
「……は?」
「だから、太郎様は、彩花さんが好きってことよ!」
姫様の身体が、熱くなった。
「太郎様は、優しくしてくれたし、命をかけてくれた。でも、それはね、貴方に頼まれたからよ。私だからじゃないわ」
「そんなことは……」
「太郎様にとって、多分私は、どうでもいいんだと思う。誰だっていいのよ。貴方に、頼まれれば」
そうなのだろうか。
人付き合い、そんなに良くないなとは、思うけど。
「貴方がいるのに、太郎様を好きになんて、なれるわけないじゃない」
火羅が、確かめるように、言った。
「そうでしょう?」
火羅は微笑んだけど、姫様は笑えなかった。
「私がいなくなったら……好きになる?」
姫様は、爪を噛んだ。
「そういう、ことですか?」
姫様は人で、火羅は妖だ。
命の長さは、違う。
覆しようのない、現実だ。
だから、自分がいなくなったら……それでもいいのかもしれない。
いいのだろうか。
いいわけがないと、どこかで思う。
「彩花さんは……いなくならない」
「いつか」
「いなくならないでよ。ずっと一緒にいてよ」
「火羅さん?」
火羅が泣いている。
本当に泣いている。
姫様は、あたふたとした。結界を描く時とはうってかわってわたわたとぎこちなく両手を動かし、泣きじゃくる妖狼を見つめた。
「……ぐず、変なこと言わないでよ、馬鹿」
えぐ、えぐと、嗚咽を漏らしている。
本当に悲しんでくれている。
気が抜けた。嬉しかった。
もういいと、思った。自分を、嫌悪した。
泣くのを、やめさせないとと、思った。
いつものように、いつも皆がしてくれたように、火羅を抱いて、頭の後ろを撫でながら、頬を寄せた。
太郎も同じようにしたのではと、ふと、思った。
「彩華?」
「さいはな?」
身を震わせながら、聞き覚えのある名を火羅は囁いた。
「彩華なの?」
火羅の腕が、姫様の身体にしっかりと絡まった。
「私を、抱くの?」
――紅い瞳が、光を失っていた。